その模様がウエブサイトに掲載されていますので、ご興味のある方はこちらからどうぞ。
“建築家集団ツバメアーキテクツ”(ウエブサイトの紹介にそう書かれています)の山道さんはカラフルな社会構築、をテーマに活動されている方です。私は最初、この『カラフル』ということばを建築家がここまでポジティブに使う、ということにとても衝撃を受けました。今思うと嫉妬に近い感情だったかも知れません。
自身が向き合う色の世界は、混乱や文脈を乱す要因として、あるいは業務の中では『調整』の対象であったりします。色彩が奏でる楽しさや豊かさに誰よりも魅力を感じ、まちの色と向き合ってきた自身が、いつの間にかカラフルさを否定的な意味に捉えてしまっていたことに気付かされました。
山道さんのいう『カラフル』は、単に物理的なカラフルさを提唱しているわけではありませんが、結果としてそれはカラフルとしか言いようがない、という点にとても興味を持っています。例えば彼が2012年3月~10月までの約半年間働いていたチリでのプロジェクト。設計事務所ELEMENTALが手掛けたソーシャル・ハウジングは、少ない予算で出来るだけ広く豊かな空間をつくるため、しっかりした躯体を半分だけつくり、後は住民たちがセルフビルドその隙間を埋めて行くというものです。
トタンやベニヤ板、暖色×寒色…。好き勝手にやっているようで、やはりここにも『ある秩序』を読み取ることができます。良い意味での適当さ・ラフさが連続性にもなっており、この地域ならではの『景色』になっていると感じました。
自身はそれでも、この『カラフルさが引き立つ状況』を整えることに意識が向きます。人工物のケミカルな素材や色から逃れ、自然の息づかいのあるものに囲まれて過ごしたくなる時もあり、何か一つのコト・モノが圧倒的になればそこから逃れたくなるのは世の常でもあります。
計算しつくされた調和、時間にしかつくることができない多様さ。共に魅力があります。そして時には静寂や、つい先月のように真っ白な雪に覆われた景色に心を奪われたりもします。
そのどれもが私達の暮らしに欠くことのできない『日常の風景』なのかもしれません。
いろいろないろがある、ということがとてつもない強度になることもあります。 |
私はただひたすら、自身がはじめて山道さんと話をしたときに感じた『カラフルさは豊かな景色となり得る』ことの可能性を信じて、色の見え方を整えたりここは色の出番ではない、といった判断に拘り続けたいと考えるようになりました。
作用と反作用。私がカラフルと言い出すとちょっととんでもないことになりそうですが、若い建築家達の活動が映える『地』を整えることができたら。
そういう色の使い方や意味も必ずある、と思っています。