2017年11月23日木曜日

色彩を体験するための「装置」について

ちょうど昨年の今頃のことですが、母校、武蔵野美術大学基礎デザイン学科の50周年記念展【デザインの理念と形成:デザイン学の50年】に出展した作品を+ticの鈴木陽一郎さんに撮影して頂きました。

この展示に合わせ、解説書として作成した色彩の手帳にとても大きな反響を頂き、当初まったく予想していませんでしたが、増刷して販売するという展開になり、一年という時間の長さと速さを改めて噛みしめています。

Ⓒyoichirosuzuki
Ⓒyoichirosuzuki
おまけにGIFまでつくって頂きました。 Ⓒyoichirosuzuki

東京ミッドタウンのデザインハブで展示という機会は、自身にとっては一生に一度かも知れないなあなどと思いつつ、空間構成の特徴(500㎜×500㎜の展示台・高さは900㎜と500㎜の2種。この展示台が卒業生の数だけ並びました)を生かし、かつ特徴ある展示を行うためにはどういったものが良いだろうと考えた結果、構成の段階から+ticのお二人に協力を仰ぐこととなりました。

色彩は体験が重要なので、ただ見るだけの作品ではなく、来場された方が触ったり動かしたりできるものが良いと考えました。「配色の効果を体験できるカード等を展示台の上で組合せる」というとこからスタートし、さて何で(どうやって)カード等を自立させるか、という議論を進める中、台を「まち」に見立ててはどうか、というアイデアが生まれました。

Ⓒyoichirosuzuki

色彩の手帳の定位置、ぴったりにあつらえました。 Ⓒyoichirosuzuki

Ⓒyoichirosuzuki

25色はすべて一つの色相(10YR)です。 Ⓒyoichirosuzuki

どう組み合わせてもまとまる、色相調和の原理を表現しています。 Ⓒyoichirosuzuki

色彩の対比、同化、そして調和。色は2色以上が組み合わされ初めて、色彩として様々な効果を生みます。単色では暗く見えていた色が、組み合わせにより明るさを増したり、さらに沈んで見えたり。その感覚を手のひらサイズのカードによって、体感してもらえるようにと考えました。

自身は美術大学の演習で、学生に「台は大事だよ(ダジャレ込み)!」と常日頃言っていることもあり、この台座づくりにはかなりの神経を使いました。完成した姿を見た時、もやは台自体が単体で立派な作品となっていて、ああこれは大丈夫だな、とほっとしたことを思い出します。

全体の構想がまとまると、後は細かな調整です。カラーカードは何種類かの材料を試した結果、溝切などの加工がしやすく適度な重みのあるMDFにしたのですが、塗装してみるとかなり表面にざらつきがあることがわかり、25枚のカードに夜な夜なヤスリをかけ続けあわや塗装が間に合わないかも、というところまで追い込まれた、というのも今となっては楽しい記憶です。

最初に造ったモデル。角材に溝を掘り、自立させるまでは良かったのですが、角材をどう固定するか、長さは、全て直行で良いのかなど、角材であることの必然性に甘さが目立ちました。

10YR系の低彩度色、25色は自身で調色・塗装しました。

実は50周年なので、50枚を目指していたのですが、やすりがけが限界でした。

自身にとっては、自分の手でモノをつくることで生じる、各種の作業に宿る独特の感覚(微細な寸法や下地の調整、搬入・設置を含めた段取り等々…)が大きな刺激となり、大変ながらも約一か月半の日々は、とても充実した毎日でした。

一年が経ち、改めて作品の特徴をしっかりと捉えて頂き、こうして見直すことによりまた新たなアイデアが浮かびます。

近頃よく考えていることのひとつに、何をそうやって「伝えるか」ということよりも「どう伝わるのか・伝わったのか」ということが重要なのかもしれない、ということがあります。もちろん伝えたいことが的確に伝わるよう、様々な工夫は必要ですし、このBlogもその一環です。

長く(苦戦しながら)伝えることについて考えているうち、伝えたい・わかって欲しいという気持ちはさておき、私が考え・実践してきたことが何がしかの結果に繋がり、ごく自然なこととして良い方に伝わる(理解してもらえる)経験が増えてきました。

「ああ、伝わったんだなあ…」という感覚と同時に、こちらにも先方の意志や意識の変化が「伝わってくる」と感じることが多くあります。
あらゆる関係は、相互作用によって成り立っている、ということなのかも知れません。

こうしてプロセスをまとめられたこともまた、ひとつの結果として。何が・どう伝わったのか、周囲の方々の反応がとても興味深く、大きな刺激になります。

展示企画・制作協力:
 鈴木陽一郎・鈴木知悠/+tic
 磯部雄一/CORNEL FURNITURE

2017年9月27日水曜日

色彩計画において、複数案を提示する理由

長く色彩計画に携わってきた中で、よく尋ねられたり要望されたりすることの多いこととして、「デザインなのになぜ幾つもの案を出すのか」「今回時間も予算も少ないから、1案だけでやって欲しい」等のことがあります。

私自身は、学生時代から今の会社でアルバイトをしていたので、実はさほどそのことを疑問に思ったことはありませんでした。確かに常にベストだと考える計画案を提示していますが、それはあくまで考え方(或いは方向性)であり、色彩は「絶対に」この色でなければならないということは考えにくいためです。

建築や土木の設計と大きく異なる部分はそこだと考えていて、例えば建築でどういう構造で・どういう設計にするかによっては、人の生命に係わる場合もあります。その判断を専門家以外に委ねるということはあり得ず、高度な技術や知識を必要とする専門的な業務だからこそ、資格を持った建築士や設計者が検証と選択・決定を重ねていくのだ、ということが言えるでしょう。

私はその点、むしろ色彩の「大らかさ」を利点と考えている部分があります。例えば同じ仕様(条件)の場合、塗装色を変えても機能やコストには(建築の構造や意匠ほどには)殆ど影響がありません。色彩の「バリエーションがつくりやすい」、という特性を生かし、検討や成果の検証に地域の方々を巻き込むことで、その後の「まちや人の育成」に係わっていくことができないだろうか、ということは私達が長く取り組んできたテーマのひとつです。

先日、CLIMATが改修計画に携わっている東京都下の団地でのイベントで、色彩計画案の人気投票をやってくれないかという依頼を受けました。今まで自治会や組合単位での説明会などの経験はありましたが、広く地域の方々にというのは初めての経験でしたので、パネルの構成や解説など色々な工夫を凝らし、先週末、実施に至りました。

2日目の日曜日には多くのご家族が投票に参加して下さいました。
“投票所”はランドスケープ事務所、stgk の熊谷玄さんが作成したワゴンをお借りして。
屋根のイエローに合わせ、投票シールもイエローでコーディネートしました。
今回初めて挑戦した、チョークボード。
スタッフ小林が眠っていた?才能を発揮してくれました。
お祭りではダンスやパフォーマンス等、盛りだくさんのプログラムが。
ケヤキの精とヒツジと子供たちが、大きなケヤキの下で輪になって踊る一幕も。
依頼主である分譲団地の自治会としては、投票で最終案を決めるわけではないけれど、実施が迫り、住民同士の意見も多様にある中で、ここはひとつ団地の住民以外の方にも意見を聞いてみよう、という趣旨でした。

提案を作成した私達としては、最終的にどの案が選ばれても「環境として成り立つ」考え方を提示していますので、どの案がというよりも「この案だと団地のこういう特性が強化される」とか、「この案だと長く見慣れてきた環境に近いので、違和感は最も少ない(でもちょっと物足りないかも知れない…)。」等の差違を見極めています。

案毎に異なるのは「最も強調(継承、育成)したい点のベクトル」であり、優劣の差ではありません。その観点を意識しながら解説をしていくと、多くの方が「どの案が良いか・好きか」という直感的な視点から「こういう見え方は今より変化があって良いかも」や「今までよりだいぶ落ち着いていて、緑が映えそう」等の意見に変化して行きました(もちろん、印象だけで判断される方や、お一方だけ「今のままが良い」という方もいらっしゃいました)。

今回の計画は分譲団地ですから、最終的には「専門家が決めた・良いと言ったから」ではなく「自分たちが長く暮らし、これからは若い人たちにも入居して欲しい、だからこういう刷新性を(或いは継続性を)選択した」と言えることが望ましいのではないか、と考えています。

本件は施工業者が決まり、間もなく改修に向けての準備が始まるそうです。来年の新緑の頃には、新しい団地が誕生するそうですよ、という一言に、地域の多くの方々が期待を持ち、どのような景色が「よりふさわしいか」と評価をして下さった結果が、実施計画案の決定に繋がるのか…。楽しみに待ちたいと思います。
(もちろん、決定案の現場監理はしっかり行います。)

2017年6月26日月曜日

同じ(ような)色でも評価の異なる理由について

「色は(検討・選定に関して)パラメータが多すぎる。」
とある照明デザイナーの方に(…何度も)言われた言葉です。パラメータとはコンピュータ―用語で「プログラムの動作条件を与えるための情報」などと言われ、なるほど、情報がデジタルに変換される照明の世界においては、正確に光を制御したり演出したりするために情報を緻密にコントロールすることが不可欠なのだと感じます。

昨晩、NHKスペシャルで「人工知能 天使か悪魔か2017」という番組が放映されました。最近、金融関係の方にこの分野の応用が最も進んでいるのは金融業界という話を聞いていたので、最先端に対する理解が深まった一方、この分野の進化はいったいどこまで検討・選定を必要とする(される)領域に変化や改革をもたらすのか、といったことを考えています。
(※既にある領域においては相当な改革をもたらしていることを大前提として)

話を環境色彩デザインに戻しまして。
先日、弊社所長のFacebookへの投稿により隅田川に掛かる蔵前橋の塗装が完了したことを知りました。墨田区の景観アドバイザー会議でも検討・審議がなされ、かなり彩度の高かった黄色が穏やかなクリーム色に変わったそうです(色の系統は現行のものを継承し、全体に彩度を下げる、色数を減らし統一感を出す等の、隅田川にかかる橋梁全体の検証・検討がなされています)。

※蔵前橋の色についてはこちらに詳細の記載あり。

なぜその色なのかということを考える時、特に公共施設・設備については何かのイメージを当てはめられたり、無難そうだからといった理由で決められているものが少なくありません。(前述の蔵前橋は「川沿いに建ち並んでいた米蔵→稲穂の色」からの連想だとか。)

蔵前橋・2014年2月撮影。
写真は再塗装を施す前の蔵前橋です。彩度は12程度(2.5Y系・JISでは最高彩度が14なのでほぼ純色)ありました。「鮮やかな色は活気があっていい」「東京は既にごちゃごちゃ、周囲の屋外広告物の方がひどい」などの意見があることは百も承知の上で書きますが。
やはり「派手な黄色がとにかくダメ」なのではなく、

①舗装の色(相)やパターンとの色彩的な不調和感。
②周囲の建築物等(特に右手にあるR系の外装色)との色彩的な不調和感。
③鮮やかな色が持つ印象と工作物の相性(他に類を見ない派手さ・物質の持つ素材感や橋梁としての量感を打ち消す無機質さ)。
が問題なのではないか、と考えています。

そういう解き方(視点)で考えると、「あの派手な黄色は良好な景色になりにくいが、この鮮やかな黄色は良い(雰囲気だと感じる)のは何故か」が証明できるのではないか、というのが自身にとってのひとつの仮設であり、評価や判断の指針です。

小布施町にて。2013年10月。
写真は長野県の小布施町で見かけたカフェテラスの一画です。こちらも景色の一部に鮮やかな黄色が見えていますが、同じ(ような)色でも随分と印象が異なるのではないでしょうか。
これを先の解き方で考えてみると。

①舗装の色が低彩度でまとめられており、建築外装と一体的に「地」がつくり出されている。
②周囲の建築物や樹木(幹)等は暖色系の低彩度色に納まっている。
③鮮やかな色が持つ印象と対象物の相性(テントの柔らかな素材感(布)、開閉が想像されるので定位した塊ではなく、色の存在が現象として認識できる…等)。

を基準に、評価や判断をすることができるのではないかと仮説を立てています。

この仮説が完璧で、どのような人にも通じるという自信がある訳ではありませんが。歴史や文化、デザインの質や個人の嗜好などを超えて共通の認識を(もちろん完全にではなく)どう持てるか(持つことが可能か)、ということをいつも考えています。

冒頭のAIに話を戻しますと。いずれこうした判断を客観的に人工知能が示してくれる時代が来るのかも知れません(技術的には充分可能だと思います)。根拠を持たないその場限りの印象論(鮮やかな色は活気があって良い・東京には既に秩序はない…等々)を、人の心理や感情を省いた人工知能に支配される環境が理想だとは到底思えませんが、都度理詰めで解説することにいささか疲れを感じてしまうこともあります。

そんな時、支えになるのは所長がよく言っていた「何を・どうするか、すべきか、最後は自分に聞け」という言葉です(あれ?最近言われなくなったなあ…)。
今のところは周囲の人たちの心理や感情をくみ取りながら、最適解を導き出していくといった地道なやり方に、可能性を感じていることも確かな事実です。

パラメータが多すぎると言われようが、(環境色彩計画によって)まちに活気がなくなると言われようが。それもそうかも知れませんけど、こういう見方もありますよねー、ということを体感によって証明し続けていくしかない、というのが(今のところ)自身の答えではあります。

…わかっているなら黙ってやれ、ということですね。

2017年3月3日金曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑱-かたちや空間に色を与える意味とは?

たまには、いきなり結論から参ります。
かたちや空間に色を与えることは、空間や環境認知の手がかりをつくるためではないか、と思うのです。

とあるプロジェクトの会議の際、設計者の方から「そういえば、東雲にカラフルな天井ありましたよね」と言われ、確か写真を撮っていたなと思い探したところ、ありました、ちゃんと。

東雲キャナルコートCODAN・3街区

東雲キャナルコートCODAN、ご存知の方も多いことでしょう。平成15年~17年にかけて竣工とありますから、かれこれ1214年が経過しています。

「住むことをデザインする」をコンセプトにつくられた新しい都市型住宅には、様々なアイデアや実験的な試みが盛り込まれています。

建築的なあれこれは、専門の方にお譲りするとして…。
主に素材(色)がファサードの構成要素となっている中、この街区を歩いているとそこかしこにカラフルな色が見え隠れしていることに気が付きます。中でも自身が最も印象的だったのは3街区(基本設計:隈研吾建築都市設計事務所、実施設計・施工:アール・アイ・エー、前田・間・長谷工建設工事 共同企業体)の「ヴォイド」と呼ばれるコモンスペース(共用空間)の配色です。

例えば、エントランス部分、吹抜け空間にはモザイクパターンが展開され、壁や天井に多色が配されています。光と風をふんだんに取り込むためのヴォイド/吹抜け空間の演出ということを考える時、この配色が奥へ向かうほど暗さを増していくさま(奥行感)が色彩により強調されていたり、庇を通して差し込む陽射しにより色の濃淡が変化し、より印象的なコントラストを生みだしたりしている様子が見て取れます。
(…2009年時には分析する力が乏しく、とてもこういう表現はできなかったなあ、と思いつつ。)

モザイクパターンと影のパターンが重なりあい、多様な景色が描かれています。

もちろん、白一色の空間でも同じような効果は体験できるはずです。でも色彩があることで強調されたり、より印象に感じられたりする―。

かたちや空間と色彩が合いまる(=互いに効果を与え合う)ことで、かたちや空間の特性がより明確に=認知のための手がかりとなるのではないかということを考えながら、検証と実践を繰り返して行きたいと考えています。

もちろん、その手掛かりが余計なお世話、になる可能性にも充分配慮しながら。

2016年12月22日木曜日

【色彩の手帳】についてのご案内

【色彩の手帳について・お知らせ・再々
ニューショップ浜松での販売、おかげ様で店頭・オンライン共に大変多くの方にご利用を頂いており、誠にありがとうございます。
併せて、2017年2月9日より代官山蔦屋書店様にて取扱いが始まっております。有難いことに、建築フロアに平置きをして頂いておりますので、お立ち寄りの際は是非お手に取り、眺めて頂けますと幸いです。

近しい方々には多くの・様々な感想を頂き、これもまた大変有難く、嬉しい限りです。
中でも403architecture[dajiba]の橋本さんがTwitterに投稿して下さり、その後メッセージも頂いた「こういう誤解の解かれ方は気持ちが良い」というひとことには、そうか、自身はそれを望んでいたのだなとハッとさせられると共に、この手帳の位置づけがより明確なったと感じました。

展示の補足にと思いまとめた冊子が、当初の思惑をはるかに超えて多くの方々のもとへ旅立ちました。専門書や教科書としてはあまりに拙いものではありますが、旅だったからにはそれぞれの場で大きく成長し、手に取って頂いた方のお役に立ちますことを、切に願うばかりです。
引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。

2017年2月13日(月)・追記



【色彩の手帳について・お知らせ・再
現在、在庫なしとなっております色彩の手帳、2017年1月13日(金)に増刷分を納品いたします。
オンライン販売では既にお申し込みを受け付けており、順次発送をさせて頂くこととなっておりますので、今しばらくお待ちください。

お手に取って頂きました折には、内容に関し、ご意見・ご感想等を頂けますと大変嬉しく思います。
どうぞ宜しくお願い致します。


2017年1月9日(月)・追記


【色彩の手帳について・お知らせ】
20161221日(水)よりニューショップ浜松にてオンライン販売を開始いたしましたが、初回納品分は完売となりました。
次回納品は12月25日(日)午後を予定しておりますが、部数は50部程度のため、早期の完売が予想されます。さらなる増刷の準備もしており、年明け1月中旬には以後品切れになることの無いよう、充分な数を用意致します。
12月25日(日)以降、再び品切れとなるかも知れませんが、ご要望頂きました方には確実にお買い求め頂けるよう準備致しますので、何卒ご理解の程、宜しくお願い致します。

※ニューショップ浜松のオンラインショップでは「再入荷のリクエスト」をして頂くと、入荷のお知らせが届くそうですので、ご活用いただければ幸いです。



以下、色彩の手帳について。

2016年も残りわずかとなりました。
今年はスタッフが一名卒業したり、11年続けてきた静岡文化芸術大学の非常勤を終えたりと、あれこれ区切りのついた年となりました。

今年はまた、自身の仕事をかたちにして展示するという機会に恵まれ、9月下旬頃より11月中旬の搬入・設営まで忙しく頭と手を動かす日々が続きました。母校出身学科が創設50周年を迎えるにたり、卒業生の代表が一名ずつ、500×500の展示台に各自の仕事を総合/統括/象徴する「何か」を展示するという企画で、東京ミッドタウンのデザインHUBにて約一か月間の展示「デザインの理念と形成:デザイン学の50年」が行われています(※20161225日(日)まで開催中)。

展示物はあれこれ考え、配色を「体験」するためのツールを作成したのですが、このような展示の会場に来る方は限られますし、何より自身の領域は今後も益々、他の分野の方々からの理解や協働によってのみ成り立つと考えている関係から、ツールを補完するものとして色彩の解説文集のようなものを併せて制作することを試みました。

結果、これまで書き溜めてきた文章から50項目を5つのテーマに分類・抽出し、写真や図版を11で組み合わせた「色彩の手帳」というタイトルの、小冊子の完成に至りました。当初、50周年記念展なので50冊印刷しこれまでお世話になった方々にお配りする、くらいの気持ちで(軽く)考えておりました。

ところが、手に取った何名かの親しいが大変興味を示して下さり、「販売したら売れる」「建築家必携!」などと(いささか盛り気味に)宣伝して頂いたお陰で、販売の要望が高まり、増刷の手配を進めることとなりました。

何分自前で制作しているものですので、一度に発注できる量も限られますし、何より「お金を出して買う人がどれだけ居るのか」とスタッフが口を揃えて言うものですから、せいぜい100部も増刷すれば…と考えていたのですが。
1222日(水)、ニューショップ浜松でオンライン販売を開始したところ、最初に納品した40冊が3時間半で完売してしまい、その後の要望も既に100を超えているという連絡を頂き、慌てて再増刷の準備を進めているところです。

年明け、1月中旬にはショップからの販売が再開できるように致しますので、何卒ご理解の程、宜しくお願い申し上げます。

ところで、なぜ浜松で販売しているのかということについて少しご紹介しておきます。
ニューショップ浜松というのは、浜松の中心市街地にあるKAGIYAビルの一階にあります。「小さなお店の集まった、街のようなデパートメントストア」というコンセプトが示すように、出店希望者は3.5寸の杉材を一本丸ごと使用した1マス10cm四方の什器を「敷地」に見立てて、個性的な「お店」を最小単位、1マスからお店を出すことができます。

賃料は什器1本(1マス)100円/月です。(別途入会金、月額基本料等有。詳細はこちら
ショップとこのシステムの設計に携わった403 architecture dajiba、また運営に係っているuntenor のメンバーから「素材色彩研究会MATECOで小さなお店を出しませんか」とお声かけを頂き、物販というよりはMATECOのギャラリー兼ショールームのようなかたちで、これまで係ってきました。

色彩の手帳を販売するにあたり、受注や発送等の業務を自身が仕事の傍ら続けることが中々難しいこともあり、店頭およびオンラインでの販売を委託することとした次第です。

ちなみに。浜松とのご縁がここまで深くなったのは、2010年の第一回浜松建築会議からです。(この件を書き出すと長くなるのでまた改めて…)。

そこで出逢った403 architecturedajibaの辻さんが色彩の手帳をTwitterで宣伝して下さったり、architecturephoto.netを主催している後藤さんにはご自身のサイトでご紹介頂くなど、大変な反響を頂くきっかけとなりました。他にも中村成孝さんら、浜松の建築家の方が店頭で購入して下さったりと、懐かしく嬉しい(かつ、ドキドキする…)出来事が続いております。

そして何よりuntenorの植野聡子さん(文芸大の卒業生で私の授業を受けたこともある)が、販売におけるあらゆる手続きや数々の告知を一手に引き受けて下さっているおかげで、私も次の一歩を踏み出すことができています。
この場を借りて、心よりお礼を申し上げます。いつもいつも、本当にありがとうございます。

浜松に行かれる際は、ぜひKAGIYAビルへ。様々なクリエイションに出逢えること請け合いです。

2016年10月20日木曜日

ナミイタ・ラボでのこと。

-寄せては返す波のように、心には還りたい場所がある―

敬愛するアーティスト、山本基さんが2015年冬に銀座で開催された「原点回帰」展でこの言葉に出逢い、以来このフレーズがずっと心に残っています。

山本基さんは塩を使ってインスタレーションを行います。はじめてこの作品に出逢ったのは2010年に東京都現代美術館で開催されていたMOTアニュアル2010装飾」展でした。ここで見たのは迷路のようなやや幾何学的な文様でしたが、昨年の銀座では海の水面のような、あるいは銀河のような壮大な広がりを感じさせるものでした。

2015年 原点回帰展にて。
ご親族を亡くされ、その鎮魂の意味も込められているという一連の作品は、塩の一粒、その結晶の膨大な集積が人の記憶や繰り返される営みと繋がります。銀座での展覧会は完成した作品を最終日に来場者の手で壊し、塩を持ち帰って海に還すというプロジェクトでもありました。展示を拝見し参加したい気持ちが高まる一方、さらさらと手から零れる塩の感触を想像すると、一体自分がどこの海に還すことを望んでいるのかがわからなくなり、参加することができませんでした。今となっては、それこそキッチンやお風呂場に流してもいずれ海に還っていたのかも知れない、とも思います。

さて本題です。
去る1016日(日)、宮城県石巻市雄勝町のナミイタ・ラボで開催された「石貼りワークショップ」に参加してきました。石巻市は多くの方がご存知のとおり、東日本大震災により大きな被害を受けた場所です。雄勝町は人口約1,800人、世帯数887戸(※平成289月末現在)の、いわゆる限界集落と呼ばれる地域でもあります。(石巻市全体の人口は約147,000人、世帯数は60,988戸)

夏になると海水浴客でにぎわう分浜。
平成28年2月に完成した防潮堤。
復興に向け住宅の高台移転や浜の公園化計画等が進められていく中、平成282月、防潮堤が再建されました。必要な役割や機能、地域の安全性。でも一方で防潮堤は海と山を分断してしまう要素でもあり、そして何よりも人工的で真新しいコンクリートの塊であるという事実。雄勝町ではこのコンクリートを地場の素材「波板石」で埋め尽くし「メモリアルウォール」として後世に引き継ごう、というプロトジェクト(クラウドファンディング)が発足しました。

様々な専門性を持つ多くの友人たちがこの活動に係わっていることもあり、僅かばかりですが支援をさせて頂いたので、いつかぜひ訪ねてみたいと思っていました。そして思い切って参加したもうひとつの理由は、多くの若い人たちがこの地に・この地での人々の暮らしに魅力を感じ「ここにはあらゆるものがある」と、楽しみながら通い続けている原動力は何なのだろう、ということが気になってもいました。

当日はまず石山へ向かいました。波板地区にはかつて写真のような石切り場が30数か所もあったそうです。現在では山から新たに石を切り出すことは禁止されていますが、捨て石といって野積みになっている石は採集することが可能で、外構や硯や食器などに加工されています。

10月中旬だというのに、汗ばむほどの陽気でした。
かつて大きな石が切り出された跡。
石切り場を案内してくれたのはナミイタ・ラボの小林さん。かつて大学院生時代にCLIMATでアルバイトに来ていた時期がありました。何度も現地を案内されているので、波板の歴史、様々な数字がスラスラと出てきます。
「良い石は叩くとわかる」と言い、彼がハンマーで石を叩くとコンコン、カンカン、という音が山に響きます。乾燥した石は甲高く、湿り気のある石は少し篭った音がします。石の良し悪しはイコール加工のしやすさや「持ち」に繋がるので、見分け方のコツを教わり、ベストな石(防潮堤に貼る高さ7センチ×ある程度の幅、そして割った時に短手に筋が出るもの…等々)を皆で探し出しました。

次に、石割。ハンマーとノミを使って、断面の中央部分に刃を当てて行きます。以前MATECOでタイル工場の見学に行った際の、割肌タイルの加工を思い出しました。何度か繰り返すと(刃を動かして)切るのではなく刃を当てるだけで「割れる」感覚がわかってきます。薪割の感じにも似ています。
後で地区の会長さんの石割を拝見したら、刃の当て方にまったく無駄がなく驚きました。私たちが慣れたとはいえ恐る恐る5回、6回と叩くのに対し、会長さんはいち、に、さん(回目)、ですぱっと割られていました。

人生初の石割。
山を下りるとお昼ご飯。40分前まで海に居たという特大ホタテのBBQなど、一年分の海産物を摂取しました。普段山梨に行くことが多く山の恵みには慣れていますが、海の恵みもまた、たまらないものですね。

ひとり3つ以上は食べました。
生でも食べられるホタテはレアで。
お昼のあと浜に移動し、いよいよ石貼りです。波板の防潮堤の高さは、地域の方々の意見も反映され既存のものと同じになっています。既に全体の1割強が済んでいて、墨だし(ガイド)に従って色むらや長さのバランスを考えながら、一枚ずつ接着させていきます。

既に完成していた部分。色や柄のむらがバランスよく貼られています。
階段の踏み面にも波板石が。踊り場からは、海の泡のように消えていきます。
ナミイタ・ラボのメンバー。抜群のチームワークです。
隙間ができないように、間隔を調整するスペーサーも地場の石。
手前の上部分、1/2弱くらいが今回の成果です。
ワークショップの参加者は自分で選んだ石の裏面にメッセージを書き込んで下さい、ということで、私は冒頭の「寄せては返す波のように」を選びました。一時間半で約50枚を貼って、この日の行程は終了。後は地元の職人が仕上げて下さるそうです。

ひとつとして同じものがない、というのが自然界の原則です。沢山の人に手によって集められた石はひとつひとつ表情が異なりつつ、再び組み合わさることで秩序や調和が生み出されます。傾斜のある防潮堤に陽が当たると石の表情の違いがよくわかりますが、離れてみるとやはり同じ石に見え、この「それぞれ違うけれど、ひとつの世界」であるという、部分と全体の調和が自然素材の魅力なのだなあと改めて感じました。

被害に合われた方々・地域に元の暮らしを取り戻して頂くために多くの専門家やボランティアの方々が尽力されていますが、物理的に元通りには行かないこと・ものも数多くあります。だからこそより良くという気持ちで、多くの方が創造に向かうこともまた、自然の一部なのだなと思います。

メンバーのおひとりが平田オリザさんの活動を例に挙げられ、「ただ昔の暮らしを懐かしむだけでは駄目だと思う。例えば限界集落にアーティスト・イン・レジデンスがあって、世界から一流の芸術家たちが集まり最先端の情報を発信していくとか。このような集落から文化が育まれるような環境づくりに興味がある。」

息をのむような夕焼け、おいしい地のもの、長く続いてきたこの地域での営み、先人たちの知恵、記憶。この地での暮らしそのものに記憶があるわけではない若い人たちは、言葉にできない懐かしさと共に、自身にとっての豊かさ・幸せとは何かを体験・実感し、ちょっと失礼に聞こえてしまうかも知れませんが「回復」されたように見受けられました。そしてこうした場所で、創造の可能性を探求し続けている―。そんな印象を持ちました。


数日が経ち、ナミイタ・ラボのメンバーの方々は心が還りたい場所を見つけたのかも知れないな、等ということを考えています。

2016年6月19日日曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑰-俯瞰して、関係性を構築するということ

昨年度から大学の非常勤が前期に集中し、水・木曜はほぼ終日、本業(実務)で使う脳とは異なる部分・体力・気力…を駆使しています。この数年、学生と話をしていて薄々感じていたことですが、今年ははっきりと「ああ、これがデジタルネイティブ世代ということか」と感じる場面が多く、色彩の体感の伝え方や色彩がある・使う意味について、こちらも一層考えさせられる日々が続きます。

先日、静岡文化芸術大学の講義のために、改めて近代建築の五原則(※正確には新しい建築の5つの要点、という説もあるようです)を確認していたところ。「『…構造体を大地から切り離し、柱が構造的に建築を支えることで』『自由な平面』と『自由な立面』を獲得した」という一文を目にしました。

なるほど、そう考えると、それまでの地域の素材(=石、土、木)でつくられてきた建築物の仕様・仕上げから鉄やコンクリートに変わっていく際、「大地の色(素材)」からの脱却が必然であったことにも、改めて至極納得がいきます。建築家のアースカラー嫌い、は想像以上に根深い…のかも知れません。

大地から切り離されることで、自由を得た建築。その自由の先に待ち受けていたのは、多くの人の予想を超えていたであろう、近代化や都市化の波と大きな環境の変化、なのではないでしょうか。

近代建築の発展に大きな影響を与えた五原則の発表から、約90年が過ぎようとしています。建築や土木・都市の色彩は、未だ成熟期を迎えてはいないと感じますし、繰り返される自然災害やその他の都市問題(公害、騒色、光害、屋外広告物の氾濫、交通、基盤整備、高齢化…)等との対峙や調整を繰り返しながら、変化し続けている(いく)ものなのかもしれない、と感じることも多くあります。
(※それが問題だ、と言いたいわけではなく、あくまでかれこれ25年、環境色彩と向き合ってきたものの実感として。)

近年、造園関係の団体からお声かけを頂く機会が増え、植物と都市・まちの関係について、レクチャーをさせて頂くことが多くなってきました。環境色彩はどこへ出向いても(未だに)「アウェー」感を拭うことはできず、どういった立ち位置で話をすれば「響く」のか、中々その距離感を掴めずにいます。

ただ、繰り返し都市やまちの色について経験を元に話をするうち、「これだけは多くの人に支持を得られるのではないか」という方法論も見えるようにもなってきました。
2014811日のblogに「自然界の色彩構造10の原理(仮)」を書きましたが、以降、各項目についてブラッシュアップを重ねています。五原則、くらいにシンプルにまとめたいという気持ちから、最近はその中の⑤と⑥をまとめ「自然界の鮮やかな色は命あるものが持ち、地表近くにあり面積が小さい」ということを、少し言い方(順序)を変えたりしながら、写真と共に収集・発信に努めています。

都庁第二庁舎、21階より。右のパーゴラがなぜここまで鮮やかなのか、が気になりました。
「鮮やかな色は地表近くにあり、命あるものが持つ」という観点でいけば、
都市のパブリックアートは自然の彩りに該当するのかもしれません。
自身は実務においては、色彩の調和論に基づく配色の手法を駆使しながら、「周辺環境と関係性において」「個がどう見えることがその場において最もふさわしいか」というアプローチを繰り返しています。
理想としては、99%までは理詰めでいきたい。それはひとえに「なぜこの色か・この配色か」ということに出来る限り正確に応えるため、に他なりません。クライアントからフィーを頂いて仕事をしている以上、あるいは多くの市民の資産ともなり得る公共施設等についても、「なぜ」という問いに対しては「なるほど」と納得してもらうことが不可欠である、と思っています。

(つい最近、とあるランドスケープデザイナーの方がセミナーで「(自身のデザインに対し)…理解してくれなくてもいいから納得して欲しい」と思うことがある、と仰られていて、その点にはとても共感を覚えました。100人が100人、良いと思う色や配色は考えにくいけれど、なぜこういう色か・配色か、という解説については100%の理解でなくとも、(とにかく)納得して欲しい、という気持ちがあります。)

一方、その「なるほど」は恐らく共通の体験・経験がなければ、成り立たない感覚でしょう。地域や年代が異なっていても「自然」から享受できる視覚的な効果や受ける印象は、(あくまでその他の要素に比べると)普遍的な共通の認識としてある種の価値を持ち得るものなのではないか、というのが自身にとってのわずかな希望です。

個々の良し悪しは大切ですが、建築や構造・工作物等は周囲との関係が良好でなければ、街並みの形成に貢献することは難しいのではないか、という疑問が長く心の中心にあります。「新しいもの、奇抜なもの、大きいものへの前衛的な挑戦を欠いては、文化は生まれない」とある建築家が言っていました。対比も調和の一種ですから、それを否定するつもりはありませんが、一方では人々の振る舞いの総体としての文化を考える時、自身は「調整という名の応戦」の中から、穏やかな解を導き出していきたい、と考えています。

新しいもの、奇抜なもの、大きいものが映えるのは、今ある環境の中でその関係性が成り立つ「地」があってこそ、だと思うのです。

自己紹介

自分の写真
色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂