2016年10月20日木曜日

ナミイタ・ラボでのこと。

-寄せては返す波のように、心には還りたい場所がある―

敬愛するアーティスト、山本基さんが2015年冬に銀座で開催された「原点回帰」展でこの言葉に出逢い、以来このフレーズがずっと心に残っています。

山本基さんは塩を使ってインスタレーションを行います。はじめてこの作品に出逢ったのは2010年に東京都現代美術館で開催されていたMOTアニュアル2010装飾」展でした。ここで見たのは迷路のようなやや幾何学的な文様でしたが、昨年の銀座では海の水面のような、あるいは銀河のような壮大な広がりを感じさせるものでした。

2015年 原点回帰展にて。
ご親族を亡くされ、その鎮魂の意味も込められているという一連の作品は、塩の一粒、その結晶の膨大な集積が人の記憶や繰り返される営みと繋がります。銀座での展覧会は完成した作品を最終日に来場者の手で壊し、塩を持ち帰って海に還すというプロジェクトでもありました。展示を拝見し参加したい気持ちが高まる一方、さらさらと手から零れる塩の感触を想像すると、一体自分がどこの海に還すことを望んでいるのかがわからなくなり、参加することができませんでした。今となっては、それこそキッチンやお風呂場に流してもいずれ海に還っていたのかも知れない、とも思います。

さて本題です。
去る1016日(日)、宮城県石巻市雄勝町のナミイタ・ラボで開催された「石貼りワークショップ」に参加してきました。石巻市は多くの方がご存知のとおり、東日本大震災により大きな被害を受けた場所です。雄勝町は人口約1,800人、世帯数887戸(※平成289月末現在)の、いわゆる限界集落と呼ばれる地域でもあります。(石巻市全体の人口は約147,000人、世帯数は60,988戸)

夏になると海水浴客でにぎわう分浜。
平成28年2月に完成した防潮堤。
復興に向け住宅の高台移転や浜の公園化計画等が進められていく中、平成282月、防潮堤が再建されました。必要な役割や機能、地域の安全性。でも一方で防潮堤は海と山を分断してしまう要素でもあり、そして何よりも人工的で真新しいコンクリートの塊であるという事実。雄勝町ではこのコンクリートを地場の素材「波板石」で埋め尽くし「メモリアルウォール」として後世に引き継ごう、というプロトジェクト(クラウドファンディング)が発足しました。

様々な専門性を持つ多くの友人たちがこの活動に係わっていることもあり、僅かばかりですが支援をさせて頂いたので、いつかぜひ訪ねてみたいと思っていました。そして思い切って参加したもうひとつの理由は、多くの若い人たちがこの地に・この地での人々の暮らしに魅力を感じ「ここにはあらゆるものがある」と、楽しみながら通い続けている原動力は何なのだろう、ということが気になってもいました。

当日はまず石山へ向かいました。波板地区にはかつて写真のような石切り場が30数か所もあったそうです。現在では山から新たに石を切り出すことは禁止されていますが、捨て石といって野積みになっている石は採集することが可能で、外構や硯や食器などに加工されています。

10月中旬だというのに、汗ばむほどの陽気でした。
かつて大きな石が切り出された跡。
石切り場を案内してくれたのはナミイタ・ラボの小林さん。かつて大学院生時代にCLIMATでアルバイトに来ていた時期がありました。何度も現地を案内されているので、波板の歴史、様々な数字がスラスラと出てきます。
「良い石は叩くとわかる」と言い、彼がハンマーで石を叩くとコンコン、カンカン、という音が山に響きます。乾燥した石は甲高く、湿り気のある石は少し篭った音がします。石の良し悪しはイコール加工のしやすさや「持ち」に繋がるので、見分け方のコツを教わり、ベストな石(防潮堤に貼る高さ7センチ×ある程度の幅、そして割った時に短手に筋が出るもの…等々)を皆で探し出しました。

次に、石割。ハンマーとノミを使って、断面の中央部分に刃を当てて行きます。以前MATECOでタイル工場の見学に行った際の、割肌タイルの加工を思い出しました。何度か繰り返すと(刃を動かして)切るのではなく刃を当てるだけで「割れる」感覚がわかってきます。薪割の感じにも似ています。
後で地区の会長さんの石割を拝見したら、刃の当て方にまったく無駄がなく驚きました。私たちが慣れたとはいえ恐る恐る5回、6回と叩くのに対し、会長さんはいち、に、さん(回目)、ですぱっと割られていました。

人生初の石割。
山を下りるとお昼ご飯。40分前まで海に居たという特大ホタテのBBQなど、一年分の海産物を摂取しました。普段山梨に行くことが多く山の恵みには慣れていますが、海の恵みもまた、たまらないものですね。

ひとり3つ以上は食べました。
生でも食べられるホタテはレアで。
お昼のあと浜に移動し、いよいよ石貼りです。波板の防潮堤の高さは、地域の方々の意見も反映され既存のものと同じになっています。既に全体の1割強が済んでいて、墨だし(ガイド)に従って色むらや長さのバランスを考えながら、一枚ずつ接着させていきます。

既に完成していた部分。色や柄のむらがバランスよく貼られています。
階段の踏み面にも波板石が。踊り場からは、海の泡のように消えていきます。
ナミイタ・ラボのメンバー。抜群のチームワークです。
隙間ができないように、間隔を調整するスペーサーも地場の石。
手前の上部分、1/2弱くらいが今回の成果です。
ワークショップの参加者は自分で選んだ石の裏面にメッセージを書き込んで下さい、ということで、私は冒頭の「寄せては返す波のように」を選びました。一時間半で約50枚を貼って、この日の行程は終了。後は地元の職人が仕上げて下さるそうです。

ひとつとして同じものがない、というのが自然界の原則です。沢山の人に手によって集められた石はひとつひとつ表情が異なりつつ、再び組み合わさることで秩序や調和が生み出されます。傾斜のある防潮堤に陽が当たると石の表情の違いがよくわかりますが、離れてみるとやはり同じ石に見え、この「それぞれ違うけれど、ひとつの世界」であるという、部分と全体の調和が自然素材の魅力なのだなあと改めて感じました。

被害に合われた方々・地域に元の暮らしを取り戻して頂くために多くの専門家やボランティアの方々が尽力されていますが、物理的に元通りには行かないこと・ものも数多くあります。だからこそより良くという気持ちで、多くの方が創造に向かうこともまた、自然の一部なのだなと思います。

メンバーのおひとりが平田オリザさんの活動を例に挙げられ、「ただ昔の暮らしを懐かしむだけでは駄目だと思う。例えば限界集落にアーティスト・イン・レジデンスがあって、世界から一流の芸術家たちが集まり最先端の情報を発信していくとか。このような集落から文化が育まれるような環境づくりに興味がある。」

息をのむような夕焼け、おいしい地のもの、長く続いてきたこの地域での営み、先人たちの知恵、記憶。この地での暮らしそのものに記憶があるわけではない若い人たちは、言葉にできない懐かしさと共に、自身にとっての豊かさ・幸せとは何かを体験・実感し、ちょっと失礼に聞こえてしまうかも知れませんが「回復」されたように見受けられました。そしてこうした場所で、創造の可能性を探求し続けている―。そんな印象を持ちました。


数日が経ち、ナミイタ・ラボのメンバーの方々は心が還りたい場所を見つけたのかも知れないな、等ということを考えています。

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自己紹介

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色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂