その時々、かかわっている仕事によって気になることが少しずつ異なりますが、今回はつい広告物に目が行きました。
主計町からひがし茶屋町にかけては、風情ある木造建築が建ち並び、旅館や料亭・すし屋、カフェなどが軒を連ねていました。
主計町の旅館。夕刻、おかみさんが前で掃き掃除をしていました。 |
主計町の料亭。こういうところで食事したい気持ちをグッとこらえ…。 |
少し赤みのある紫は、京の雅の色。格子の弁柄色に馴染んでいました。 |
通りの正面にあるお麩のお店。こじんまりしたのれんで充分だと感じました。 |
…確かにその通りです。茶屋町の伝統や風情、習慣が今に生きる魅力あるまちなみは、そこで食べるものや店先の商品も含め、全てが“らしさ”の対象となっているのだな、と感じました。
ヤナギの色合い、アジサイの可憐な造形と見事なコーディネート。 |
奥にちょこんと、人形が。灯りが道行く人を誘っていました。 |
十月亭があまりに素敵だったので、翌日ランチに。加賀料理・冶部煮を頂きました。 |
五感の中で重要な視覚的効果をねらう演出は必要ですが、制御の効いた演出により店舗の内部を思わず覗いてみたくなるようなにぎわいや人の行き来する様子(=気配)をつくることを先人たちは得意としてきました。人目を引くこと=派手で目立つ鮮やかな色を乱立させることではなく、魅力的な商品やメニューを含め、店の“もてなしの雰囲気”を客の立場に立ち、丁寧に表現していくことが大切なのだと思います。
東京へ戻ると、すっかり見慣れたビニル製ののぼり旗や屋上広告など、鮮やかな色が目に飛び込んできます。他者を気にすることなく、自身の主張のみを繰り広げる屋外広告物の数々…。もちろん、歴史あるまちと近代的な都市ではふさわしい広告のあり方は異なります。混沌の中に宿る美、を完全に否定する気持ちもありません。
ですが、それを選ぶことに、日本人としての誇りを持てますか?
或いは、これがあなたが考える美意識の表し方ですか?
恐らく一生続く、自身への問いでもあります。
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