2013年12月10日火曜日

マテリアルが持つ時間について


学生に課題の撮影には携帯を使わないよう言っていますが、自身のiPhoneの画像フォルダには気が付けばこのような写真が溜まっていきます。どこへ出かけても気になるのは、表情豊かなマテリアル。スケール感、重量感、テクスチャー、色合い、色むら。周辺の空気感もふくめあらゆる事象と渾然一体となり、でもその場で凛とした存在感を放っている。
そんなマテリアルに強く惹かれます。

グレイ×せっき質タイル=温かみ

紅葉した葉がそのまま壁になったよう @上野

それは単にタイルや煉瓦が好き、ということとも少し異なるかなと考えていて、惹かれる理由を何とか言葉にしたい、といつも苦心しています。マテリアルにはふさわしい『居場所』がありますから、いつどのような計画でもタイルや煉瓦を使おうということではもちろんなく、でもこうした素材の持つ表情の豊かさが身近にあって欲しいと思っています。

その居場所とは構造がつくるものです。そのことに気が付いてしまった昨年、必死で建築の構造のことを考えています。自身が違和を感じる建築物は、構造と素材が馴染んでいないためなのではないか等、構造と素材というテーマはそれが景色となって表れることの効果や影響を説く一つの切り口になるかも知れません。

私はまじまじとマテリアルを見るとき、そこにどのくらいの時間(情報)を読み取れるか、ということを考えます。これまで・いま・これから。タイル一つをとってもこの一枚がこうして壁面の一部になるまでには膨大な時間と多くの人の手を介していますし、原料である土を考えるとそれこそ私たちが産まれる前からこの世にあるものであり、素材一つが数十年・数百年という単位の情報を持っているのだと感じます。

それは現代の建築や工作物が持つ寿命をはるかに超えることすらあり、マテリアルが持つ強度はこれからのまちなみにどう影響して行くのだろうかということに思いが募ります。

森鴎外記念館。表面が削り取られ、なめらかな手触り。

床にも同じ煉瓦が使われています。

先日、今年最大の目標でもあった上州富岡駅の煉瓦積現場見学会を実施することができました(こちらのまとめは別途作業中です)。コンペの一等案により生まれ変わる新しい駅舎に対し、煉瓦という『素材としては比較的ありふれた』材料が用いられています。

設計の思想に基づき選定された煉瓦のサイズや色合い、それを監理するメーカー・現場、そして実際に積み上げる職人の技術と知識。初めて煉瓦が積まれる様を体感し、煉瓦というありふれた素材がとんでもなく未知の可能性を秘めているマテリアルだということを実感しました。建設中の上州富岡駅では煉瓦の『新しい使い方』が検討・実証されつつあり、見学会を開催・参加した立場として竣工後にも是非再訪したい施設です。

一方これは素材が泣いている、と感じる場面もあります。
今日見たとある現場(自身の仕事には関係のない)では、素材の良さを台無しにしてしまうような『ある工夫』が施されていました。勿体ない、の一言に尽きます。

この一年の間に煉瓦職人や煉瓦を製造するメーカーの方の話を聞いたり、様々な施工例を見たりする中で、タイルや煉瓦それぞれの表情を生かす目地の扱いや積み方に対する理解や興味が益々深まっています。でも自身がそれを形にする機会は、まだもう少し先でいい。もう少し時間をかけて、マテリアルが持つ膨大な情報量と向き合っていきたいと思っています。


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自己紹介

自分の写真
色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂