裏道を歩いていくと、目を引く色彩がありました。
マンションと民家の間を流れる水路と転落防止?の塀 |
これは全く個人的な問題ですが、私は学生の頃から殆どモノのフォルムというものに興味を頂くことが出来ませんでした(もちろん趣味や嗜好はありますが)。例えば消火器とカバーをデザインせよ、と言われたりするとものすごく困ります。『それはもっとうまい人がやってくれればいいなあ』と、学生の頃もそんな風に感じたことが何度もありました。
どこにでもありそうな住宅街にあるこのバケツとそのディスプレイというか、設置の様子を見たとき、強烈にそのことを思い出しました。用具と使用目的・実際の使い勝手と色彩が見事に一致していて、地元の人たちはいつもこの風景を眺めることによっていつも何となく水を汲む際のイメージなどが自然に(或いは無意識のうちに)刷り込まれ、いざという時の行動をも想起させるのではないか、と感じました。
とかく“きれいに”デザインされすぎることの弊害、を考えずにはいられません。最近地方での仕事が多いせいか、もっと本来の適度さやいざという時に役立ちつつ、景色にもなる素材・色彩のあり方など、モノの意味や目的を根底から丁寧に考えることの大切さを実感しています。
デザインが優れていることに越したことはありません。ただ、それもやはり場との関係性が整えられていることが必要なのだと思っています。
もうひとつ、おまけです。
これは誰かが意思をもって決断をした、景観に対する配慮の例ではないかと感じた建物。
背景の山並みに併せて、形態・色彩による分節化が図られている(と推測) |
こうした配慮で全ての問題が解決されるわけではもちろんありません。ですが、まちを歩いていて何がしかそのまちの特徴であったり、明確に言葉には表せない雰囲気であったり。そのまちに対する様々な人の思いに触れると、とてもあたたかな気持ちになります。