代表を務めております素材色彩研究会MATECOでは、今後どなたでも参加可能な勉強会を開催していきます。
来る5月12日(土)、記念すべき第一回目は、『環境色彩デザイン-選定の論理-』とし、周辺環境の調査や上位計画、設計のコンセプト等から導き出される色彩デザインの方法論について、CLIMATスタッフがレクチャー及び進行役を務め、参加して下さる方々と議論する会にしたいと考えています。
環境の色彩にご興味のあります方、是非ご参加下さい。
詳細はこちら。
MATECO設立以来、益々様々な分野の方と素材・色彩について話をする機会が増えています。
昨晩も建築設計やランドスケープデザインを専門とする方々と、『文脈や論理を超えた、クリエイティブな創造としての色彩表現の可能性』というテーマで話をしたのですが、設計者の方々が普段の実務の中で如何にして『色を積極的に使ってみよう』と考えていらっしゃること、本当によく耳にします。
色を自由に使ってみたい、この環境や空間にほんの少し色があってもいい、何か色が欲しくなる…。
そうした発想の際のエネルギーはもちろんそのままの形でダイレクトに表現されるわけではなく、何よりもクライアントの意向や維持管理などの観点という様々なフィルターを通し精製していかなければ、実現することが困難です。
そうした困難な過程を経てもなお、ハッとさせられるような印象的な色彩の体験を誰しもが心の底では望んでいるのかも知れない、と思うことがよくあります。色々な方のそうした体験を紐解いていくだけでも、そこから様々な可能性が見えてくるような気がしており、そうしたインタビュー企画も練っていかなければ、と考えています。
2012年4月27日金曜日
2012年4月26日木曜日
取り戻すためのデザイン
国土交通省のHPに『復興まちづくりにおける景観・都市空間形成の基本的考え方』が掲載されています。大変わかりやすく、すべきこと・すべきでないことが整理されており、どのような立場・職務の方が読んでも理解と共感が得られる内容なのではないかと思いました。
この中で、素材について書かれた項があります。
つ い最近、戦後の住宅の変遷と画一化・西洋化などの要因について、建築家の方のお話を聞く機会がありました。建築家・建材だけの問題ではなく、土地利用や物流など様々な問題が複雑に絡み合ってこうなっていること、そうしたことを最近は『(明確な一つの要因によるものではなく)なってしまった景観』とも耳にしますが、改めてその事実を突きつけられたように感じました。
眼前の風景を既にあるものとして、当たり前に受 け入れてきたことが、時々ひどく理不尽で、やるせない気持ちになることがあります。が、今ではその根本の要因を解き明かし、改善策を編み出すこと無くして、景観というテーマに取り組むことはもはや不可能だと考えています。
地場の素材を用い、産業の支援につなげる。さらにはそうした様々な取り組みを発信したり、観光まちづくりにつなげていく…等々。
様々なアイデアを具現化するために、いくつものアクションを起こし場と状況を繋いでいかなくてはなりませんが、そのためには既にある資源(人の活動も含め)を丁寧に慎重に見極め、引き継ぐべきものを抽出できるチカラ、が必要とされるのであろうと思っています。
デザインという名のもとに、一人よがりな足し算をしないこと。
自身の専門性が、何に役立つのか・役立ててもらえるのか…。考える毎日です。
この中で、素材について書かれた項があります。
《画一的な工業素材のみで考えない》
復興の過程では、時間的な制約から、入手が容易な規格化された既製品が多用されることも想定されるが、住宅建設に地元の木材を用いるなど、地場素材、とりわけ自然素材を積極的に活用することにより、地域に馴染んだ、柔らかい統一感をもった街並み形成を図ることができる。こうした方向性を早めに打ちだし、緩やかなルール化を図ることも効果的である。
また、こうした取組は、統一感のある親しみやすい街並み形成のほか、地元人材の活用や地場産業の維持・活性化の観点からも効果が期待できる。
つ い最近、戦後の住宅の変遷と画一化・西洋化などの要因について、建築家の方のお話を聞く機会がありました。建築家・建材だけの問題ではなく、土地利用や物流など様々な問題が複雑に絡み合ってこうなっていること、そうしたことを最近は『(明確な一つの要因によるものではなく)なってしまった景観』とも耳にしますが、改めてその事実を突きつけられたように感じました。
眼前の風景を既にあるものとして、当たり前に受 け入れてきたことが、時々ひどく理不尽で、やるせない気持ちになることがあります。が、今ではその根本の要因を解き明かし、改善策を編み出すこと無くして、景観というテーマに取り組むことはもはや不可能だと考えています。
地場の素材を用い、産業の支援につなげる。さらにはそうした様々な取り組みを発信したり、観光まちづくりにつなげていく…等々。
様々なアイデアを具現化するために、いくつものアクションを起こし場と状況を繋いでいかなくてはなりませんが、そのためには既にある資源(人の活動も含め)を丁寧に慎重に見極め、引き継ぐべきものを抽出できるチカラ、が必要とされるのであろうと思っています。
デザインという名のもとに、一人よがりな足し算をしないこと。
自身の専門性が、何に役立つのか・役立ててもらえるのか…。考える毎日です。
2012年4月18日水曜日
絶対色感は訓練により向上する(と思う)
以前から漠然と絶対色感ということについて、何か判定の方法はあるかな、とあれこれ考えていたのですが、先日北川一成氏の『ブランドは根性』という著書の中に氏の絶対色覚について書かれた項がありました。
印刷される紙の質までもひとめ見た・触っただけで記憶するという氏の能力にはもちろん敵いませんが、最近自身でもこれは…と思う出来事がありました。
小田原城でのお花見に参加した際のこと、まちあるきをしながら駅周辺の景観形成の取り組み事例を色々紹介して頂いたのですが、チェーン展開をしている飲食店の看板色、少し離れたところからも彩度を抑えている様子がよくわかりました。
隣を歩いていた建築設計を生業とする友人にそのことを告げると、『そう言われれば落ち着いている感じがする』と言うので、恐らく余程の色オタクでない限り気がつかない程度のことかも知れません。でもそれを言い換えると、穏やかに感じられるくらい彩度を下げても看板としての機能が低下するわけではない、と言えるのではないか、とも思いました。
同じく近くにいたCLIMATのスタッフに『あの赤、彩度8くらいかね』というと、すかさず色見本帳を取り出し測ろうとします(なんてオタク…)。ところが更に近くでそれを見ていた市役所の方が『そうです彩度8です、よくわかりましたね』と仰ったのです。
私は未だに色相(色合い)の判定にはやや苦手意識があって、特に赤系色は色票を対象物にあてがう視感測色を行わないとズレやすいのですが、明度(明るさ)・彩度(鮮やかさ)については予測とずれることが格段に(訓練によって)少なくなりました。
…その能力が日常生活に役立つことはあまりなさそうですが。彩度8程度の赤がこの程度の面積、材質で『どのように見えるのか』を自身のデータとしてインプットして行くと、周辺との関係性を判断する際にはとても役に経つ指標となります。
そしてあくまで自身の経験からですが、色感は測色や比較検証という単純な作業の積み重ね・訓練によって向上させることが可能である、と言えると思います。
一時期は『まちを歩く際、いちいち数値に置き換えるのは辞めよう…』と思っていたのですが、最近はまた見るもの全てを即座に数値化してみるという(流石に呟きませんが)、行為にはまっています。
…傍らで『正解っ!』と言ってくれる人がいるといいなあ、と思いながら。
印刷される紙の質までもひとめ見た・触っただけで記憶するという氏の能力にはもちろん敵いませんが、最近自身でもこれは…と思う出来事がありました。
小田原城でのお花見に参加した際のこと、まちあるきをしながら駅周辺の景観形成の取り組み事例を色々紹介して頂いたのですが、チェーン展開をしている飲食店の看板色、少し離れたところからも彩度を抑えている様子がよくわかりました。
CIカラーの彩度を下げた例・小田原市 |
同じく近くにいたCLIMATのスタッフに『あの赤、彩度8くらいかね』というと、すかさず色見本帳を取り出し測ろうとします(なんてオタク…)。ところが更に近くでそれを見ていた市役所の方が『そうです彩度8です、よくわかりましたね』と仰ったのです。
私は未だに色相(色合い)の判定にはやや苦手意識があって、特に赤系色は色票を対象物にあてがう視感測色を行わないとズレやすいのですが、明度(明るさ)・彩度(鮮やかさ)については予測とずれることが格段に(訓練によって)少なくなりました。
…その能力が日常生活に役立つことはあまりなさそうですが。彩度8程度の赤がこの程度の面積、材質で『どのように見えるのか』を自身のデータとしてインプットして行くと、周辺との関係性を判断する際にはとても役に経つ指標となります。
そしてあくまで自身の経験からですが、色感は測色や比較検証という単純な作業の積み重ね・訓練によって向上させることが可能である、と言えると思います。
小田原駅周辺では屋外広告物の地色をそろえるなど、きめ細かなコントロールが行われています |
一時期は『まちを歩く際、いちいち数値に置き換えるのは辞めよう…』と思っていたのですが、最近はまた見るもの全てを即座に数値化してみるという(流石に呟きませんが)、行為にはまっています。
…傍らで『正解っ!』と言ってくれる人がいるといいなあ、と思いながら。
2012年4月16日月曜日
競わずゆるやかに解決したい、色の課題
例年サクラの時期になると、この話題に触れないわけには行かず…。ということで、穏やかな色のシートの話題です。あまりに見慣れた方、どうかご了承下さい。
自身でもこの件に関しては、いい加減製品の紹介だけでなくより様々な分野への普及へ向けて先へ行かないといけない、と思い始めています。今年は多くの団体・個人の尽力により、以前と比べ様々な場面で使って頂いている例も増えましたし、いくつかのサイトで小売りも始まりました。それはもちろん、YRシートの開発や商品化にご尽力なさった方や製造・販売元であるメーカーの方々のお力であり、私がちょっと宣伝したり授業や講演で紹介したりしている程度のことは、そうした方々の足元にも及ばないと思っています。ですから余計に、勝手に広報という意味ではもっと別の方法を考えて行かなくてはと思うのです。
4月7日(土)には総勢60名が参加、というお花見に参加してきました。小田原城の麓に並ぶ鮮やかなシートの合間、まるで地べたに座っているかのように見える一角がYRシートを使った一群です。自身でも離れたところから写真を撮ってみて本当に驚いたのですが、シートの存在感が全く感じられないほど環境と同化していました。色の効果とは本当に面白いものだと改めて感じました。
画面中央、もはやシートが見えません…。 |
色鮮やかなシートが景観に与える影響は決してお花見の時だけではありませんが、この時期全国的に一気に出現しTVのニュースなどでも取り上げられる場面が集中することを考えると、やはりお花見=派手なシートの出現、というイメージはある程度浸透してしまっているのかも知れない、と感じます。
鮮やかなシートVS穏やかなシート問題に関しては、周囲の多くの方に実に様々な意見を頂きます。
・景観法等ができ、景色を大切になどと言っても、所詮大多数の人が使うのは鮮やかなシートである
・いくら良い製品でも量販店やコンビニエンスストアなどで売っていなければ、使いようがない
・あんな派手な色だらけのお花見なんて行きたくない
・安くて手軽なものにはどうしたって勝てない
・(穏やかな色のシートを)もっと手軽に変えるようにして欲しい
・結構な知識人ですら、何がいけないの?というレベル。それが日本の主流なのではないか
・教育で変えて行かないといけない。大学生がお花見で鮮やかなシートを使うレベルだから
…等々。いずれも、まあ正論だなあと思います。現に、大勢は色鮮やかなシートですから。
でも、これまで私はfacebookやtwitterで穏やかな色のシートのことを掲載した際、何名もの方から使いたい・購入先を教えて欲しいという要望を頂き、都度ご紹介して来ましたし、ごく親しい方には使用例の画像を提供して頂くことを条件に、シートを貸し出したりしてきた結果、(少なくとも私の周囲には)『穏やかな色のシートいいよね!』という方が本当にたくさんいらっしゃいますし、口コミで広まりつつもあり、今後もそれは確実に増えて行くと確信しています。
ただこれは勝ち負けで考えると、恐らく今のところは負ける勝負だと思います。ですが、この問題はそこであきらめるとかしょげるとかそういうことではなく、景色がどうあるべきかという市民としての見識の問題であり、少し大げさにいうとまちをどう使いこなすかという人それぞれの暮らし方・生き方の問題であると考えています。
先日twitterである建築家の集団が、『鮮やかな色のシートはよくないから、私達はこれを使う』といって、白いシートを用意していました。明度の高い色彩は昼夜を問わず環境の中では最も進出して見えやすい色であり、鮮やかな色とはまた違った意味で淡く繊細なサクラの色よりもよく目立ちます。周辺環境との調和やサクラの色を引き立たせることを目的とした時、白という色の選択は色彩学的には完全な間違いだと私は思います。
背景よりも目立つ白を選択することは、結局は鮮やかな色よりもこちら(白)の方が良いだろう、という差異の強調にしかなり得ません。目立つ・目立たないということは単に鮮やかさだけの問題ではなく、背景となるものとの相対的な関係によって決定づけられるためです。
もちろん、見方や条件を変えれば白が有益な可能性もある、と思っています。しつこいようですがここではあくまで『儚く移ろう季節の花の色を愛でることを目的とした際』という条件下での話をしています。
ですがその建築家達が例えばメディアを使ってもっと積極的に白いシートを推奨し始めたら、恐らくそちらの方が圧倒的に浸透力はあるでしょう。それが大勢になったらどうしよう、とかなり本気で悩んでいますが、それをtwitter上で議論に持ち込むのもどうか、という気がして中々行動に移せずにいます。なぜなら、その建築家達は私のことをフォローしていない(=色彩になんぞ興味を持っていない!)ためです。
そう、問題はシートの色云々よりも、環境における色彩の役割とそれを色彩学の側面から実証できる職業がある、ということを認知してもらうことから始めなければならない、ということなのです。見通しは決して明るくありませんが、確実に自身の身近な人達の意識は変わりつつあります。これを身内だけの論理にすることなく、引き続き丁寧に証明していく手法をうみ出していかなければ、と思っています。
賛同してくれる方が大勢を占めることはもしかしたら無いかも知れない、でも何を際立たせるべきかという前提の上においては、環境色彩の『自然界の構造に従え』という教えが絶対的な正論であることを確信しています。そして同時に、正論がいつも正しいとは限らない、こうでなければならないという決めごとは息苦しい、たかがシート、鮮やかなシート以外にももっとひどい色はある…。
正論にはそうして常に反論が付きまといます。そうしたことを(今のところは)出来るだけ幅広く受け止め、大勢に対抗するのではなく受け入れつつさらりと受け流すような方法で、自身の道を切り開いていきたいと考えています。
天候にも恵まれ、とにかく皆さん楽しそうでした。 |
2012年4月12日木曜日
富塚の天井-自然と化学の融合
かれこれ7年前、静岡文芸大学の非常勤として浜松に通い始めた頃は大学との往復で精一杯でしたが、そうこうする内に色々なご縁が出来、来訪する機会が増えてきました。とはいえ、建築家の内覧会のためだけに行くのは中々厳しいのですが、過日は同じく浜松で開催されたまちあるきにツアーコンダクターとして招かれていたとこもあり、上手く午前の時間を使って訪問することが出来ました。
…こう書くといかにもついでだったように感じられるかも知れませんが、前回記載した渡辺隆さんのカットハットガレージの時のように、良いタイミングに巡り合えることも、まあ何というかご縁なのかなあと勝手に思っています。
富塚の天井とは、403architecture[dajiba]が手掛けた戸建住宅のリノベーションです。閑静な住宅街の一角に位置し、周辺も戸建住宅が建ち並ぶとても穏やかな印象のまちなみでした。玄関周りとダイニング・リビング+テラスのリノベーションだったのですが、その名の通り天井に大変特徴がありました。
躯体以外の部分を解体した際、天井裏に隠れていた梁が表れたそうです。一般的な改修の際は、その空間の拡がりを生かすためにあえてむき出しで見せたり、梁を墨色に塗装したりして存在感を強調する例などが見られますが(ビフォー○○とか…)、そうした一般的な解釈に納まらないところが403architecture[dajiba]の最大の特徴なのだな、と改めて感じました。
天井(というよりは屋根裏との間にある膜のようなもの)に用いられているのは農業用のメッシュシートだそうです。一見固さのよくわからない細かな目のシートは、不均一ながらもリズミカルなたわみをつくり出し、それはたゆたう雲のようでもあります。メッシュの素材自体が持つ厚みや張り感といったものが布とは少し異なる強度を持ち、天井裏や梁が持つ量感と上手くバランスを取っているのだと思いました。
一つ一つ丁寧に解説して頂きましたが、やはり私が興味を持つのは、“なぜこの場面でそういう選択をしたのか”ということです。
今回も根掘り葉掘り、素材や色の選定について聞いてしまいました。当然、選定の段階では他の様々な可能性があり、決定の際には論理がある、と私は考えているのでどうしてもその点が気になります。
例えば二つの部屋の間にある壁には、一本柱があるのですが、ここは仕上げをしていない無垢の姿です。この柱を見ると、確実にこの空間がリノベーションであるということが認識されると同時に、この空間が重ねてきた時間というものの存在を感じずには居られません。
時間の痕跡の残し方について、403architecture[dajiba]の仕事を目にするようになってからより深く考えるようになりました。空間の雰囲気に大きく影響を与える、素材の成り立ち。富塚の天井では自然素材(木)と人工素材(メッシュシート)の関係性がとても緩やかな繋がりを持ち、単に関係をあいまいにする融和ではなく、程良い対比を保ちながら互いの存在を引き立て合っているように感じられました。
天井に展開したシートは、農業用資材として屋外で使用する時ほど劣化のスピードは速くないと推測することが出来ます。通常の用途で使うとこうなる、でも違う使い方をすればまた別の可能性があるかもしれない…。彼らの素材の選定はもちろんコストによるところが大きな比重を占めていることと思いますが、そうした事情はさほど気にならず、完成した空間を訪れてみると必然としてそこにあるような印象を持ちました。
とかく新しい・丈夫・メンテナンスがしやすい、等の理由で価値が決められがちな素材・建材ですが、403architecture[dajiba]を始め、建築家の仕事を見ているとそうした原理を越える何か、は確実に存在するのだなと感じます。素材そのものは何の変哲もない(屋外で見る際は目に止めない程の)メッシュシートですが、彼らの手に掛かるとそれは雲にもなり、照明の光を受け美しいスクリーンにも変容するのです。
自然素材と人工素材の組み合わせ方とそのバランス、なぜそれを自身が素直に受け入れることが出来たのか…。そしてそれを自身の問題と捉えたとき、屋外環境に展開する可能性について、ずっと考え続けています。
2012年4月3日火曜日
掛川の白いガレージ
3月は予定していなかった出張がいくつか重なっていたのですが、良いタイミングで色々なイベントに参加できたり、旧友に再会できたり、目まぐるしくも充実感のある年度末でした。
少し時間が空いてしまいましたが、浜松で開催された2つのオープンハウスのことをまとめておきたいと思います。
一つは渡辺隆さんが設計された店舗(美容室)兼ガレージ、もう一つは403architecture [dajiba]の戸建住宅のリノベーション、“冨塚の天井”です。
渡辺さんのことを知ったのは2010年6月に開催された第一回浜松建築会議の席でした。社会に接続せよ、というテーマでの討論の中で、とても静かに、でも力強く『接続せよってタイトルだけど、僕たち(浜松近郊で建築設計を生業としている方々)は既に社会(地域)に接続しているんですよ』というニュアンスの発言をなされていて、そのことがずっと心に残っていました。
直接お話をしたのはそれから約一年後、RE02の建築家と白について、のレクチャーの時だったのですが、相変わらずとても穏やかに、ご自身の設計のお話や色に対する興味についてお話をして下さり、大変謙虚で細やかな気配りをなされる方だなあ、と感じました。
3月中旬、丁度浜松で調査をする用事があったので、その渡辺さんが手掛けられた店舗兼ガレージのオープンハウスに伺ってきました。隣には既存の母屋、二階には施主の奥様が将来使用する予定の美容室のスペースが設えられています。
…建築的なことは相変わらず私に論じる術はありませんので、あくまで素材や色のこと、になりますが。渡辺さんのオープンハウスのとても興味深い点は、『カットハットガレージEXPO!』と題され、家具やトートバック等の展示の他、オーナーの方が収集されているコレクションの数々も併せて展示が行われていたことです。
ただ建築物や空間を見せるのではなく、来た方に存分に楽しんでもらいたい。あるいは建築にあまり興味の無い方も何かを見つけて楽しんで欲しい…。そんなさりげない気配りに満ちた、とても楽しいオープンハウスでした。
白を基調とした空間は、オーナーが集められているカラフルなゲーム機や車のカタログ等が良く映え、ガレージにありがちな暗く閉鎖的な印象が全く無いことが印象的でした。スチールや木、パーティクルボード等が白く塗装されていますが、それぞれ下地の違いによって微妙に階調が変化していて、それが視覚的に心地よい変化をもたらしていました。
例えば、床にも塗装が用いられていますが、渡辺さんは『歩いているうちにペンキが擦れて下地が見えてきたりするとまたいい感じだと思う』とおっしゃっていて、そういう経年変化の影響を受ける部分と、鉄部等の堅牢な部分とのバランスのコントロールがとても興味深く感じられました。
併せて展示されていた中澤さんの家具は、木とスチールを組み合わせたものでした。座面のとても小さな(奥行きも多分20センチ程しかない!)スツールは、一見座り心地が不安だったのですが、腰をおろしてみるとピタッと安定するので、とても驚きました。スツールとしての使用はもちろん、ちょっと花を飾ったり本を載せたりする台としても使えそうな清楚な感じがともても好ましく、控え目なサイズも中々良いものだなあと思いました。
渡辺さんはご自分が設計された空間に中澤さんの家具が合う、と確信をしていらしたそうですが、確かにコンパクトな美容室の中に、あつらえたようにしっくりと馴染んでいました。
同じく併せて展示されていた後藤さんのトートバック。お知らせを頂いてから、また実際に使っている方のコメントなどを拝見するうちとても気になり出し、ぜひ実物を拝見したいと思っていました。バッグの展示も、そのデザインに込められた世界観を体現出来るように設えられており、オーナーの方のオープンカー・後部座席にさりげなく置かれた様は、バッグを持つ方のライフスタイルまでもが見事に構築されていて、まるでセレクトショップのような雰囲気でした。
2階の美容室スペースに、トートバッグや渡辺事務所のカラフルな名刺等が展示されていました |
モノだけでなく、場とのコーディネートがなされた展示 |
オーナーの方を含め、4者の個性が競演するという、ともすると“オレがオレが”という雰囲気に(見る方はお腹一杯…)なる可能性もあることと思いますが、どれもがとても自然にその場にあり、すっかり長居してしまうほど居心地が良かったことを思うと、それが建築(空間)の持つ強度ということなのかなあ、等と後でしみじみ感じました。
ガレージや店舗であるということをすっかり忘れて、誰かとても親しい人の家に招かれたような…そんな気持ちになりました。
…ということで、403architecture
[dajiba]の天井については、また後日。
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自己紹介
- Yukie Kato
- 色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂