2012年9月5日水曜日

塗装の可能性-山東省の調査より

順序がすっかり逆になってしまいましたが、先月中旬調査に行ってきた山東省の2つのまちの景色もご紹介しておきたいと思います。

今回の調査地は濱州市(ビンジュウ・bīn zhōu)と沾化(ジャンホア・zhān huà)県、二つのまちは70キロ程離れています。いずれもほんの10年前までは殆どが農村だったとのこと。わずか数年で新しい道路や河川、建物群が出現したということには驚きを隠せませんでした。
以下は2つのまちのより新しい方、沾化県の写真です。

市政府建物(県内で一番高層)屋上から眺めた景色。屋根の高彩度色は現実離れしていて、何か模型のような印象を与えます。
何もかもが新しく、(善し悪しは別として)きれい、という印象は感じます。でも何となく不安になるというか、どうしてこういう景色なんだろう、ということばかりに気が行ってしまいます。

こうした地域の古い集落は土壁の平屋で、写真の一帯は1950年代につくられたものだと聞きましたが、かなり老朽化が進んでいます。

私達は調査に行くと必ず、こうした地域の古い集落に案内をしてもらいます。そこには必ず地域の素材があるためです。ところが、地元の方々はこのような自然で穏やかな雰囲気の古い集落を歩きながら『こういう景色はホッとするけど、冬は寒いし不便だし、黄砂を思わせる家に住むのは嫌。』と言っていました。 …なるほど。

…どこまでが大地で、どこからが壁か。  
目の前の道は舗装が完了しています。この周辺の集落はあと一年ほどで壊されていくそうです。
一方、新しい住宅は同じ間取りの反復による団地のような形式です。上の屋上から撮影した写真にあるように、同じ形態・ボリュームの住棟が20・30と連続している場合が多く、特に外装が塗装の場合はファサードの与えるインパクトが大きい、と感じます。

それまで地域に育まれてきた建築の様式や素材・色彩から大きくかけ離れた建築物の外装は、どこにも根拠が無いように見え、延々と続く似たような景色に圧倒されることが多くあります。
 
明度8・彩度6程度の外装色。日本ではまず見かけない明るく鮮やかな基調色。

塗装にしか出来ない配色、があると考えています。これはリズミカルですが過剰な派手さは無く、ともて興味深い事例でした

日本でも『大きな面積に使用する塗装色の選定』や『群で出現する建築物のまとまりと変化のバランス』が最も難しく、積極的に色を使ってすぐに飽きられる例や、無難に淡色・単色でまとめてしまう例などが多く、自身も常々、どこまで塗料の特性を理解し、形態に応じたデザインを展開できているだろうか、と自問しています。

今回の山東省で鮮やかな色や対比の強い色が多く使用されていた理由の一つには、黄砂の影響があります。特に春先は始終景色がかすみ、何もかもが黄ばんで見えるのだそうです。塗装を施してもわずか2年ほどでくすんでしまうので(塗料自体の性能の問題もあると思いますが)、思い切り対比を強く、そして強い色を使うのだ、という話を聞きました。

自然素材を使った住宅はその地にあるものを利用し気候風土と上手く折り合いをつけながら暮らしてきた、という歴史があると思いますが、集合住宅として規模が大きくなった時、全てを土壁で仕上げるわけにはいきませんし、建築に使用する建材の変化と共に、色彩選択の新しい論理を組み立てていく必要があると感じています。もちろん、日本でも同じことが言えると思います。

素焼き瓦の家並みは自然の緑と馴染み、穏やかな景色です。背後にはまちの中心部で建設の進む高層の建物が見えます。
素材が現代の仕様やかつて無かった新しい建材に変わっていく際。これまでそれらの色のことはあまりにぞんざいに扱われてきたのではないか、という思いがいつも頭から離れません。

塗料は色表現の自由度が高い材料の一つですが、形態や規模・用途を総合的に鑑みると、建築の基調色の範囲は意外と狭い範囲に収まっていますし、見慣れない・不似合いなという観点のみならず、建築物が公共の場に出現するものであることを考えると『余程のことが無い限り基調色には使うべきではない』範囲の方が圧倒的に広い、と考えています。

文化や気候風土の違いを考慮しつつ、この地に新しくつくられていく景色にどのような秩序を与え、許容すべき変化を示すことが出来るか…。6日間に及ぶ調査の結果から、根拠を導き出し論理を構築する作業が続いています。

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自己紹介

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色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂