1月は大学の講義・演習の他、いくつかの研修(講師として)が重なり、その中で改めて『公共に出現するアレ』の色やあり方について考える機会を得ました。その時に出てきた議論を元に、考えてみたことをまとめてみたいと思います。
先月中旬、研修の企画担当の方から数枚の写真が送られて来ました。動物や果物が描かれた『アレ』の他、真っ赤な歩道橋や色鮮やかな舗装など、行政の方が普段から頭を悩ませているであろう、恐らく『よくない景観』として認識されているものだと感じました。資料にも『色が派手すぎる』、『目立ちすぎている』、『違和感がある』…等のコメントがずらり、良好な景観づくりに携わる方であれば『気になって仕方がない』事例の数々なのだと思います。
その研修は公共施設の管理の他、各種発注業務に携わられる方々が参加されるということでしたが、年齢や経験は様々のようでしたので、『いきなり評価を示さず、まずこれについてどう思うかを聞いてみることから始めませんか』という提案をしました。
そうした課題を単に価値観の善悪で片付けるのではなく、より良いあり方についての議論が出来れば、と思ったのです。
あるグループが地域の特産であるイチゴが描かれた手摺について、議論を行いました。手摺のベースは白、周囲には田畑や山並みが拡がる自然景観の中を通る二車線道路、その脇に歩道があり、歩道と畑の間に白地にイチゴが描かれた手摺があります。
そこで出た主な意見は以下の通り。
・地域の特産が表示されているのは悪いことではない。
・イチゴ柄をアリとするならば、白は赤が映えていて良い。
・でも周囲を見たときは白が目立ちすぎているかも知れない、もう少し落ち着いた白にしてはどうか。
・公共工事の場合、今の時代はイチゴ柄を描く理由が見当たらない。そのデザインを評価するのも難しい、無くてもよいのでは。
・無地の場合、景観配慮色(※)のどれが望ましいか。あまり暗いと手摺としての機能(安全性)が低下する。
(景観配慮色については→『景観に配慮した防護柵等の整備ガイドライン』をご参照下さい。)
…等々、現状をヨシとする方の意見から、もし絵がなかったらという場合に至るまで、多くの意見がありました。最後の発表の際には、穏やかなグレーベージュかダークブラウン、という案になりましたが、ここで『地域の特産が表示されているのは良いことなのでは』という意見をどうくみ取るべきかということを考えてみました。
自身が公共空間において『鮮やかな色の望ましい姿』を考えるとき、まず自然界の色の法則に当てはめてみることを意識します。動く色・動かない色、という概念です。
自然景観の中では大地の土や岩、樹木の幹等は動かない色に当たります。草花や昆虫などが持つ鮮やかな色は動くものです。更に、動く色は地表近くの比較的面積が小さい部分に存在し、一定の期間に限られる、という法則です。命あるものが色を持っている、と言い換えることもできます。
これを人工環境に置き換えてみると、建築や土木工作物等は動かない存在となります。その法則で考えてみると、動く色をどうデザインすれば良いか、ということになるのではないでしょうか。
地域の特産であるイチゴをアピールしたい、というオーダーに対しては、
・イチゴ農家の付近でのぼり旗を使う(但し、シーズン中のみ)
・移動販売車が地域を回り(もちろんイチゴ色でも良いです)、イチゴ狩りの季節が来たことを知らせる
…等の方法がありそうです。手摺に描かれたイチゴは年中そこにあり、旬の瑞々しさや香りを伝えることは出来ません。生物は動くものに目を惹かれるという習性がありますから、風の動きや日中の人の活動の中で『色を感じてもらう』ことができれば、景観に配慮しながら、そして地域の安全性や交通の機能性を維持しながら、地域の魅力をアピールして行くことができるかもしれません。
先日の研修では『景観配慮は一つの視点に過ぎない』ということをお伝えしました。何でもぎちぎちに考え、穏やかな色にせよ・馴染ませよ、ということでは決してないと考えます。
地域にふさわしい主張の仕方を実践するにはどうしてもある程度の経験や学習が必要で、その助けになるのが『景観配慮色』であり、本当に伝えたいことや見せたい景色を見つけて育てて行くことに繋げて行けるのではないか、ということが環境色彩という分野の希望の光です。
動く色について、光のあり方と共に考える機会が増えました。
川面に映る鮮やかな橋の色、隅田川にて |
昨日、隅田川にかかる橋の色を測って歩きました。日を浴びながら歩いていると汗ばむほどの良い気候でした。実に色とりどりの橋を眺めながら歩いていると、時折遊覧船に追い越され、そのたびに川面の変化に目を奪われました。
色が動いていました。
かたちを変えていく様子は生き物のようで、風による静かなゆらぎから船の通過による激しく本当に一瞬のきらめきまで、その様は見ていて飽きることがありませんでした。
ちょっと話は逸れますが。観察者が動くことによって像を結ぶ、あるいは動いているように見える…。こうした作品はキネティックアートと呼ばれ、自身がその存在を知ったのは大学在学中でした。ヤコブ・アガムというイスラエル出身のアーティストは、凹凸のある画面を使いそれぞれの方向に異なる色やパターンを配し、見る角度によって様々な絵が表れるという作品を数多く制作しています。
パリのラ・デファンス(1958年から着手された再開発)地区には氏が制作した噴水が設置され、とても色鮮やかな景色が出現しています。
パリのラ・デファンス(1958年から着手された再開発)地区には氏が制作した噴水が設置され、とても色鮮やかな景色が出現しています。
(アガム作(※動画):イスラエル、火と水の泉)
こうしたパブリックアートは時代と共に評価も変わって行くものだと思いますが、その存在が地域の人々に親しまれ、後世に継承すべきだと判断した際には、作家の有名無名に限らず長く残っていくものなのでしょう。
手摺に描かれた動植物も、様々な視点に配慮がなされ、適切な管理が続けられて行くのであれば、地域のシンボルとして長くその地に根付く存在となり得る可能性も十分にあり得ると思っています。誰かが道行く人を楽しませよう、地域のことをよく知ってもらうために試みたということ、間違いなく人やまちに対する配慮の一つと言えます。
景観を一つの視点のみで良し悪しを判断するのではなく、『そうなってしまった』事象に対する意図や本来の要求を読み解きながら、別のより良い方法で実現することの可能性について考えています。動かない地となる環境の整備と、動きがあり暮らしに季節感と潤いをもたらすような図の演出。随分と長く地のことばかりに執着し過ぎた反省もあり、今年からはもう少し図となる色の提案にも力を入れて行こうと思っています。
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