2015年1月30日金曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑫-色彩学って何?

例年今時期、静岡文化芸術大学のデザイン学部で非常勤の授業があります。担当科目は空間演出計画Ⅰと空間演出デザイン演習Ⅰの2単位で、色彩の他音響・照明(もちろん講師はそれぞれ)がセットになったオムニバス形式の授業科目です。

空間造形学科の専門科目で、例年一年生が全員受講します。都市・ランドスケープから建築空間・インテリア空間まで、幅広い領域を網羅するカリキュラムが特徴で、一年時からかなり専門的な科目が盛り込まれていると感じます。

同じく非常勤をしている武蔵野美術大学の基礎デザイン学科では、色彩論Ⅱ(二年生)を担当しています。基礎デザイン学科では一年の前期に色彩論Ⅰという科目があり、いずれも必修です。全国的にも珍しいと思いますが、実にほぼ一年をかけて色彩学の基礎・色彩論への展開を学ぶという、じっくり時間をかけてデザインと色彩の関係を体験し考察するという、文芸大とはまた違った特徴があります。

文芸大の授業は2つの科目を1日で実施します。3限で計画、4・5限で演習という組み合わせで、3コマ×5週間の集中型の授業です。
講義(座学)と演習(実技)を連続して実施することができ、演習の時間をたっぷり取ることができますが、5週間というのはかなりの短期決戦でもあります。

その中で色彩学・色彩論の基礎から応用(実践)までを網羅するのは中々難しく、例年課題の設定や全体のプログラムは7年目を迎えた今も、少しずつ手を入れてバージョンアップを繰り返しています。

今年の新しい試みとして、デザイン活動のベースとなる色彩学・色彩論の基礎的な事項と自身の専門である環境色彩デザインの位置づけを下図のように図式化する、ということ考えてみました。
もとは演習の最中、ホワイトボードに思いつくまま殴り書きしたものなのですが、以下は再度全体の構成を考え、清書したものです。

上段は大学の講義や演習で展開する基礎項目
色彩検定やカラーコーディネーター検定等、色彩の基礎知識を問う試験も一般的になり、色彩が持つ様々な効果や心理的な影響はデザインや建築設計を学ぶ方でなくても耳にしたことがある方は多いのではないでしょうか。

現象・技法・効果・調和論…。様々な要素はそれぞれとても興味深く(…自身にとっては)、相互の関わり合いは応用が効いたり、影響しあったり。自身の頭の中では相関図のように位置づけが見えていたものの、こうして可視化したのは初めてのことでした。

分類する、というのは複雑なものごとを整理して考える時の基本ですが、さらに線を引くという行為は相互の関わりや繋がりを明確にし、何と何が影響し合い行き来が可能な行為なのか、又は一方通行なのか。そういったことがとても整理しやすくなります。

他の分野の方に「色はパラメータが多すぎる」と言われたことがあります。最初は意味がよくわからなかったのですが、この現象と技法と効果を挙げてみるとなるほどとうなずける部分があります。結局「見え」に影響しているのは何なのか、ということになる訳です。

ちょっと説明的になりますが、建築・構造物の色彩計画を考える際は現象的分類の内の表面色を扱うことが殆どです。ものの色の見え方に影響を与えるのが心理(視覚効果)です。視覚効果には様々な種類があり、中でも対比と同化現象はより細かく分類され、各々の現象性は芸術・デザインの分野に広く展開されています。

視覚効果や現象性は配色の技法に多様なバリエーションをもたらし、色彩調和を生み出します。調和論だけ、あるいは視覚効果だけが独立して扱われる(解説される)ことも多いのですが、これらは全て図のように関わり合いを持っているということがおわかり頂けるでしょうか?

建築物の色彩調和だけでは成り立たないのが環境色彩デザイン
図の下段は自身の専門である環境色彩デザインにおける色彩調和の方法論を明示したものです。色彩学・色彩論をベースにしつつ「環境」という二次元世界にはなかった(考慮する必要がなかった)要素が強く対象に影響し、その見え方をつくっているという認識です。

日本に限らず、今まで様々な国で色彩調査をした経験から、環境色彩においては調和の「型」は表記の3種に絞られます。学問としての色彩と、地の環境がつくってきた自然や文化、建築・構造物の成り立ち。この両方を融合させるのが、環境色彩デザインという分野です。

…とはいえ。この図にはゲーテの色彩論や表色系のことが盛り込まれていません。これをうまくまとめることができたら、現代色彩学の新しい方向性を導きだせるかも知れない…等と、やや妄想が膨らみ始めたところです。

線を引いては消し、を繰り返しながら。今後も益々、建築・土木設計を学ぶ学生が色彩に興味を持ってもらえるような取り組みを続けて行きたいと考えています。

2015年1月5日月曜日

日本のスタンダードカラー

新年あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

早速ですが、年始に鎌倉市で見かけた仮囲いを見て、改めて日本にも「YR系というスタンダードカラー」が浸透しつつあることを感じましたので、写真と共に。

八幡宮へ続く若宮大路、段葛整備中です。石積みの補強や老朽化した桜の植え替え等が進められるとのこと。
15時過ぎでしたし、iPhoneしか持っていなかったので、写真が暗めですが…。これは恐らく10YR(イエローレッド)系でしょう。防護柵等に推奨されている景観配慮色よりもやや彩度がありますが(恐らく3程度)、歩行者空間に圧迫感を与えないよう、また周辺の街並みから突出し過ぎないよう配慮がなされていると感じました。

通常の仮囲い用パネルは白色で、近年は光触媒によるセルフクリーニング機能を持ったものが多く使用されています。明るくフラットで汚れにくいパネルは清潔感があり、工事中の雑多な雰囲気を払拭する効果や、様々な広告媒体の下地としての役割も担っています。

しかしながら、やはり鎌倉のような歴史を生かした観光地や自然景観との関係性が強い環境の中では人工的な高明度は対比が強く、過剰に目立ちすぎてしまうでしょう。
「目立たせる必要があるか・ないか」、あるいは「出来るだけ控えめに」という配慮や工夫がこうして一般的になってきたことを、新年早々に嬉しく感じました。

このblogでは何度も書いていますが、景観配慮色に対する拒絶反応(何でも茶系だと暗い、つまらない、創造性に欠ける、思考停止になる…)が多々あることを承知の上で、それでも尚、公共空間にはスタンダードカラーがあるべきですし、もっと浸透していくと良いなと考えています。

例えばイギリスのブリティッシュ・グリーン。やや暗めの緑、という幅の中で、様々なアイテムに展開されていますが、このスタンダートカラー(イギリスの場合はナショナルカラーと呼ばれていますが)があるからこそ、ロンドン市内を走る真っ赤な二階建てバスの色が印象的に見える、という関係性が保たれているのではないでしょうか。

21世紀初頭のスローガン。ダグラス・クープランド(小説家)の作品。21_21で開催中の「活動のデザイン」展より。
「混沌と自由を混同するなんてみっともない」。21_21 DESIGN SIGHTで開催中の活動のデザイン展で最も印象的だった作品です。「人間と消費とテクノロジーの関係性は常に、希望と混迷に満ちている」ゆえ、こうした至極シンプルな言葉が世代や領域を問わず、私たちのこころに突き刺さるのだ、という解説がありました。

自由さ、豊かな創造性、時にハッとさせられる色。こうした生き生きとした変化が感じられるために、スタンダードカラーは無くてはならないものだと思います。

万能な色を使いこなすこと、個性のある色を生かすこと。

どちらか一方、極論ではなく。どちらも大切にしながら、今年も環境色彩のあれこれについて綴って参りますので、どうぞ宜しくお付き合い下さいますよう、お願い致します。

2014年10月6日月曜日

景観配慮色が担う「地を整える」という役割

自身の身の回りには随分と「景観アレルギー」の人が多く、また徐々に増えてきているような気がしています(それは被害妄想では、とスタッフには言われますがw)。

景観に配慮する、というと決まって言われるのが「配慮すべき(価値のある)景観などここには存在しない」というひとことです。その発言の裏には、様々な災害から復興を繰り返してきた東京(・日本)において、文脈を継承し育んでいくという意識が薄れやすいこと、またその行為に根拠を見出すこと自体が大変難しいことが挙げられ、どのまちの歴史を振り返ってもそうした文脈の分断は明らかである、という論理があるのだと思います。

一方、公共施設・設備の色については、2004年(平成16年)に策定された「景観に配慮した防護柵等の整備ガイドライン」の発行により、「環境の中で主張する必要のない色」が統合・整理され、山間部のみならず都市部でも大分道路景観がすっきりとしてきた、と実感することが多くあります。

例えば→設備や橋の色の判断基準について

しかしながら統合・整理=均質・個性が無い、という意見も多いですし、運用する側の意見としては「景観配慮色にしておけば問題ない(文句は言われない)だろう」という声も頻繁に聞かれます。(ある事象に対する反対の声程、大きく聞こえるものです)

いずれも間違った内容ではありませんが(確かにそういう事例や経験をされている方も多いので)短絡的というか、極論に行きすぎだな、という感じがしています。
自身としてはこの10年で「景観配慮色」が「地の部分を整えてきた」ことに一定の評価をすべきだと思いますし、そのおかけで他のもの(まちなみ、植栽、個々の建築物)が際立つようになってきた例も数多く存在すると思っています。

自然の緑よりも鮮やかな人工物(防護柵)。
色でここまで過剰に目立たせなくとも、機能を果たす工夫は沢山あります。

防護柵の色単体の良し悪しではなく、
周辺との関係性をどう見るかが課題です。

公共空間としてより多くの人に好感を持って受け入れられるように、という価値のつくり方があっても良いのではないか、と考えています。

年明け早々、土木学会のセミナーで下図の上段にある図が示されました。空間を認知する順番を模式的に表したものです。多様な意見がある、ということ以前に、例えば山や湖・満開のサクラを見たときには多くの人がパッと見て「心地よい」等と判断することができるでしょう(※あくまで、上の階層との比較論です)。

そうした誰もが共有の認識を持ちやすい要素に比べ、歴史的な価値のあるまちなみや遺産、新しく開発される街区等については、先の自然よりも少し経験や学習に基づく判断の基準が上がるように思います。

直近の例に置き換えると、新国立競技場に関する議論は景観としての価値が共有しにくい(最も難しい)例の一つに挙げられると思います。新国立競技場に「景観配慮色を採用すれば問題ない」と考えることが的外れであることは下図の下段で解くことができると考えています。

最近、行政の研修等に使用している資料。
ガイドラインが網羅すべき・できる部分を、明確にできればと考えました。
景観に配慮した防護柵等の整備ガイドラインは策定・施行から10年。ベーシックな「地」の色としての配慮色の存在が浸透し、環境が整ってきたゆえに「起こるべくして起きる議論」もありますし、創造性という名のもとにガイドラインからはみ出るもの、時代の要請・社会の成熟によって超えていくものが出現して当然だと思います。

それでも、自身は「平均的な水準の向上」あるいは「誰かが関係性を無視して好き嫌いで決めるくらいなら他の要素のことを考えて地にしておく」ことは決してまちの均質化・無個性化でも、担当者の思考停止とも言い切れないのでは、と考えます。

地であるべきものに、地であれということ。それは他の要素の可変や更新の可能性も含め、次代へ検証をつなぎ、判断を担保することに繋がるのではないでしょうか。

…とはいえ、近年、住宅街では毛虫が困るからサクラは伐採して欲しいという住民からの要望が出るなど、一概に自然・緑は誰もが心地よいと言い難い時代になりつつあります。価値や美しさといったものを行政が押し付けるな、という意見も多く(…それもそうか、と思う部分も多々)、環境における色彩の構造については、改めて行けるところまでは理詰めで解く必要があると考えています。


以下、参考

景観に配慮した防護柵等の整備ガイドライン(国土交通省HP)




2014年8月21日木曜日

まちが白い、あるいはカラフルな理由について

気になるまちなみがあると、そのまちが「そういう景色になった理由」をあれこれ調べています。

例えば南米のチリの斜面都市・バルパライソと海辺のまち、チエロ島の木造住宅群は共にとてもカラフルなまちなみです。いずれも斜面に沿って、びっしりと建物が建ち並んでいます。その並んでいる状態が、既にある秩序を形成しているようにも感じられます。

バルパライソには19世紀頃の建物も多く残されており、カラフルなまちなみとして多くの観光客が訪れるまちです。一体なぜこのように彩色が施されているのかというと、その始まりは港に積まれていたコンテナの鉄板を使っていたから、という説があるそうです。

雨の多い冬時期は北風が吹きつけ、日干し煉瓦の壁は雨水を吸い込んでしまいます。そこでコンテナの鉄板を壁に貼り付け、横殴りの雨から家を守ったらしいのです。その名残で、新しい家をつくるときもカラフルな塗装色が使われている、と推測することができそうです。
外壁を保護するために使ったコンテナの鉄板の色がもともとカラフルさを持っていたことがまちの景色をつくってきたと考えると、これも地域(に根付いた)の素材色の一つ、と言えるのではないでしょうか。

また世界遺産に登録されているブラジルのサルヴァドール。このまちも鮮やかでカラフルな色使いが印象的ですが、ここはかつて住民の識字率が低かった時代、表札や町名の文字表示の代わりに「色」が使われたという説があります。現代ではサインカラー、という表示に用いる色がありますが、建物の外観・まちなみのカラーシステムや配色がまさにサインとして使用されていたという例なのだと感じました。

http://tokidokicameraman.blog19.fc2.com/blog-entry-2133.html

色々調べてみて、歴史あるまちであれば当然のことだと思いますが「意図的にこういう色にしよう」と思ってつくられたまちではないことがわかってきます。個人的にこのことにとても興味があって、いつかそういう旅をしてみたい、と事あるごとに妄想しています。
(…またの名を現実逃避、と言いますが)

西洋の美しいまちの例として、白も多くの人が思い浮べる色なのではないでしょうか。
ホワイト・シティという呼び名があることで知られるイタリアのオストゥーニというまちがあります。まちの起源は古く、中世初期(10世紀ごろ)に遡るそうです。

このまちが白いことにも、明確な理由があるようです。「白くしよう」という意図によりつくられたものではないことが、以下の解説からわかると思います。

『●都市構造
オストゥーニは壮観丘の街です。 中世のコアでは - 最高の丘の先に - 家は全体の丘をカバーする、巨大な関節構造を形成し、壁で壁を構築されています。 構造を保持するには、通りを頻繁にアーチを建設している - このように魅力的な街並みを作る。
壮大な特徴は、構造体の全面をカバーする、白い石灰である。 これは、夏の太陽の下で見事な光景を作成し、このオストゥーニのためには、 チッタビアンカとしても知られている-ホワイト・シティ。
この白色は中世以来ここで使用したり、それ以前の、いくつかの実用的な嗜好を持ってきた。 まず - 白い色は暖かさの大部分を屈折さ - それは、建物内の施設は、冷静さを保つのに役立ちます。 第二に - ライムepydemicsの時代にeffctive消毒されています。 そして第三(とメインでもよい) - ライムは、街の周辺には容易に利用可能である。』

http://www.wondermondo.com/Countries/E/IT/Apulia/Ostuni.htm より自動翻訳を引用

ちょっと整理してみますと、
①反射率の高い白い外壁は、強い日差しを遮り、室内の温度の上昇を防いだ
②疫病がはやった時代、(水と混合するとアルカリ性になるという石灰の性質が)菌の蔓延を防いだ
③(これが第一の理由と言っても良いが)石灰はまちの周辺で容易に入手できた

ということになるでしょうか。
身近にあった汎用性・機能性の高い原料で外壁を仕上げた結果、長い時を経て「夏の太陽に映える白いまち」という評価がついた、と考えることができます。

西洋漆喰については左官屋さんのブログに詳しい記述がありました。

左官屋さんの喫煙所(左官屋ブログ)

水で硬化し、長い年月をかけて更に硬化し続けて行くという特性。
残念ながらオストゥーニを訪問したことはありませんが、様々な記述を見る限り、現在でも白いまちなみが保たれていることから、耐久性に優れた材料であることがわかるのではないでしょうか。

原料そのものの色がまちなみをつくってきた…。これはどの国・地域でも歴史を辿ると答えはそこへ行きつきます。そして様々な彩色が施されたまちなみには、そういう色使いがなされた「要因」があることも、いくつかの事例から見えてきています。

フィレンツェの街並み。まちなかにある一般の建物は(群として見た時に)とてもカラフル。
対照的にドゥオモ(大聖堂)は白基調(大理石)。特別な建物に象徴的に白色が用いられている、ということも都市構造の1ひとつと言えるのではないでしょうか。
こうしたまちなみの表層の色だけを真似ても、決して同じような美しさを持つまちにはならないのでは、というのが自身の抱えているテーマの一つです。オストゥーニの白いまちの例でいえば、気候・風土(=文化)が日本と異なる、という点も加味すると、より明確に論じることができると思います。

引き続きそうしたデータも活用しながら「では、日本のまちなみにはどのような色がふさわしいのか?」という問いについて、「白ではない」とか「とにかくアースカラーにすべし」などの断定ではなく、あくまでも環境や対象との関係性の中でグラデ―ショナルに解いていきたいと考えています。

2014年8月11日月曜日

自然界の色彩構造10の原理(仮)

先月、静岡県で実施された平成26年度第1回景観講習会の講師を務めたのですが、その際のアンケートが先日届き、参加者の層や感想などを読んでみて、改めて公共性の高い要素の色を選ぶ・考えるということの根拠が根付いていないのだなと感じました。
それは決して行政の方や設計に携われる方・各種のコンサルタント…が不勉強だ、ということではなく、やはりどう考えても納得の行くような論理、機能性や安全性を超える根拠を見出すことが出来ないという状況にあるのだと思います。

自身は長年、周辺環境が持つ色彩が(善しに付け悪しきにつけ)その拠り所となることを体験により理解していますが、これはいくら数値で示してもその環境を見ない、あるいは何らかの敬意を払おうとしない方には通じない理論で、もっとごく一般的な経験や体験の共有を言語化しなければ、と長く思考錯誤をしています。

先日の講習会では直近、このBlogに掲載した鮮やかな色の使い方を後半の大きなテーマとして挙げました。力を入れて話をしたことが伝わったらしく、アンケートにも
「動く色と動かない色のことは参考になった」
「自然の色の変化の話はとても新鮮で、興味深かった」などの意見が多数書かれていました。
…と、ちょっと伝わったからと言って、それに気をよくしている訳ではありませんので念のため。行政の方々には「実践して頂く」という次のステップがあり、そこに向けても具体の策を提示して行かなくてはなりません。

地表近くにある鮮やかな色
 これがその次の一歩になるかな、と考えています。
「自然界の色彩構造10の原理(仮)」です。本当は5原則くらいの方が覚えやすくて良さそうですが、今のところ10になっています。これは全て20数年の経験によるものなので、実感もありますし様々な場面で実証も行って来ました。

「色彩の原理」ではなく、「色彩構造の原理」です。自然の色は美しいからそれをそのまま真似する・写し取るということではありません。自然界において、色が美しく・その変化が印象的に見えている「仕組み」に関わる構造のことを解いています。実際、人工物に展開する時は対象の規模や用途、そして場所の特性などとのすり合わせが必要ですし、だから自然素材を使うべき、という単純な話でもありません。

経験を共有しやすい自然界の色彩構造を理解し、それをもとに現代における「色と色、あるいは素材と色」の関係性を再構築すべし、というものです。

自然界の色彩構造、あるいは自然物の持つ色の特性、と言い換えることもできます。
…と、こういう話をすると「日本には純粋な自然景観はない」とか、「どこそこの森の樹木は植林したものだ」「庭園は自然じゃない」とか言い出す専門家もいらしてややこしいのですが。
ここではごく単純に「人が制作・製造したもの以外の生物や時間がつくる自然現象」というように捉えて頂ければと思います。

それは間違っているとか、色々な指摘もあるとは思いますが、自身の分野においてはこの「色彩構造の原理」に当てはめてみると解けることが数多くあるように感じています。2014年中にもう少し練り上げ、より伝わりやすい(=使える)方法論として、確立して行きたいと考えています。

①自然界の地となる色は、動かない・大きな面積を持つ
  →土や砂、岩等。

②自然界の地となる色は、暖色系の低彩度色が中心である
  →同上。

③自然界の地となる動かない色は、天候の変化によっては明度が変化する
  →雨を含むと地の色は、明度が下がる(図の色よりもその変化の差違が顕著)。

④大きな面積を持つ地の色は、単色に見えても近づくと粒子であることがわかる場合が多い
  →土や砂、岩等は小さな単位の集積である。

⑤自然界の図となる色は、いのちある・小さなものが持つ
  →色鮮やかな草花、昆虫。

⑥自然界の図となる色は、地表近くにある
  →同上。

⑦空や海・河等の色は、定位しない変化の大きい色なので、動く色に分類される
  →面色(film color)を物体色に置き換えても、同じ色には見えない。

⑧地となる色の一つ、木(材)の色は、時間の経過と共に彩度が下がり、樹種によっては色相が赤みから黄赤みに変化していく
  →いのちと共に色は失われていく(そして大地へ還る)。

⑨自然物の集積は距離を置くほど明度・彩度が下がる。
  →例えば樹木、葉色が明るくても離れて森を見ると暗い。重なりや隙間の陰が加味されるため。

⑩自然物は時間の変化を受け入れる
  →自然物は時間に逆らわない、時間が染み込む。

小布施で見かけたザクロの木。緑と補色の関係にある朱赤、小さくとも印象的な色でした。
いかがでしょうか。
まずは箇条書きで、シンプルに表記してみました。ここから、色々発想が拡がるようであれば、しめたものです。今後、それぞれの解説を丁寧に加えて行きます。 

2014年7月15日火曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑪-鮮やかな色の使い方

普段気になった色の見え方を撮りためていますが、最近改めて環境色彩が信用している「鮮やかな色の使い方」は「動くか、動かないか」という判断基準の中に光明が読み取れると感じています。

面積、材質、仕上、形態、そして場との関係性。検証のためのフィルターは幾重にも重なり、経験を重ねるほどに複雑になっていく部分もあります。

この「建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学」では、出来るだけ小難しいことをすっ飛ばして(経験に基づくあれこれの方法論は宿ってはいますが)、読んだ方が「ふーん試してみようかなあ」という、色を知るため・興味を持つきっかけになればと思って書いています。なので今回も「鮮やかな色は動くものに」という1つの法則を掲げ、それがいかに場に彩りを与え、かつさほど違和感がないものであるかということを示してみたいと思います。

色はこうして人の目を誘うのだな、と感じます。
写真がうまく撮れませんでしたが…。思わずやきそばが食べたくなる赤。富岡にて。
自然景観の中の寒色系は定位しない面色(film color)。人工物の色の面積がこれくらいでも、十分瑞々しさがあります。
動く・動かない、という基準は以前に「誘目性のヒエラルキー」という項目でまとめています。自然界の色彩構造を手本にし、「鮮やかな色は動く小さなもの(命あるもの)が持ち、不動の大面積を占める色(土や石、樹木の幹など)がそれらの変化を支えている」という色の見え方を構造化したものです。

自然の色の美しさに限らず、色は単体の良し悪しではなく「どう見えているか」という関係性の問題です。鮮やかな花が印象的に見えるとき、背景や周囲との「対比の度合い」で見え方が決まります。もちろん、距離を置けば光の加減や湿度等も影響してきます。

この法則が当てはまるな、と思う例をいくつか挙げてみました。「全体の中で小さな・動くものが(過剰になりすぎずに)人目を誘う」ということが言えるのではないかと、これはかなり自信を持ってそう考えています。 
こういう場合は、何色でも違和感なく受け入れられそうな気がしませんか?

「命ある・動くものが鮮やかな色を持つ」という自然界の構造は、風景を眺めると良く理解できます。
建築・土木設計にこれをどう当てはめるのか?と思ったそこのあなた。さすがです。これは言い換えると「動かない・大きな面積を持つものには鮮やかな色は向かない」という法則にもなります。

もちろんその可能性(大きな面積に鮮やかな色を用いる)がない、とは言いません。ところが建築家はすぐ「海外だともっと自由で、様々な色がある」と奇抜な、あるいは文化の異なる国の例を次々と挙げてきます。「日本では景観法の規制によって自由に色が使えない」とも

それもある一面では、正しいことだと思います。
でも、建築外装における鮮やかな色の出現の可能性や質は本当にピンキリで、長年キリの部分(大型家電量販店やロードサイド沿いの飲食店等)が地域の個性や本来の景色を奪ってきた、という側面もあります。

私は地域の特性に即したある程度の制御は必要だと考えています。鮮やかな色の見え方が自然界と同様、背景や周辺との関係性で「決まる」とすると、まずは周囲が整うこと、も今後の可能性を拡げる方法になり得るかも知れません。

でもまあ、とりあえず色を使ってみたいと思ったら「小さな・動くものに」という法則。駄目だ…と思ったら動かせば良いのですから。一度は試してみる価値があると思っています。

動くもの、小さな部位。色の「使いどころ」を設計の中で探していくだけでも、とても良い訓練になると思います。私達(CLIMAT)もそうした検証を重ねて、最終的に「ないな…」ということに行きつくことが多々、あるのですから。


2014年7月1日火曜日

アーティストがつくりだす空間における視覚的な楽しみ

去る6月27日(金)、本日7月1日(火)にリニューアルオープンした港区立麻布図書館を内覧させて頂く機会を得た。以前から交流のあるアーティストの流麻二果氏がアートワークを手掛けたとのことで、案内を頂いたのだ。

最上階の作品。油彩特有の艶が作品を生き生きとさせている。
アーティストの「なま」の作品を公共施設に設置する、ということに対する関係者の多大な労力や尽力は想像に難くなく、特に幼児や児童が出入りする図書館ともなれば、管理者側の懸念や条件等、一つ一つクリアするには大変な苦労があったことと推測する。とにかくそうした高いハードルを越え、アーティストの作品が空間と共に出現したことに敬意を表すると共に、長く多くの人に愛着を持って親しまれる環境となることに大きな期待を感じている。

流氏の活動の一つに「一時画伯」という非営利団体での取り組みがある。一時画伯は第一線で活躍するアーティストが、美術に触れることの少ない人々、とりわけ子供たちにアートを届けることを目的とした団体である。

あらゆるモノの成り立ちが見えにくくなっている昨今、「なま」の画が持つ作家の筆圧、画材のきめ細かなテクスチャー、光沢の有無など、圧倒的なリアルに目が触れたとき、私たちのこころはかすかに・何かに揺さぶられる。それは決して激しい感情ではないが、最近「なま」の作品を見ていると、何よりも私達の目がそうした微細な変化を求めているのではないかと感じることがある。

緩やかなカーブを描く壁面いっぱいに展開されたエントランスホールの作品。「重なる」
図書館内の色彩空間はメインとなる一階エントランスホールの壁画の他、大きく3つの要素から成り立っている。
書庫や閲覧テーブル・椅子のある各階は本の種類ごとに分類され、下階から上階へ行くに従い大人向けの内容となっている。色調の変化もそれに連動し、春(こども)~冬(壮年期)へと移り変わっていく。この内装の一部に埋め込まれた油彩と壁面のアクセントカラーとの調和が、最も印象的に空間を支配している。

次に目に留まるのは、エレベーターホール周り。扉とその周囲の壁がフロアごとのテーマカラーで彩られ、操作ボタン周りのサイン表示とも色が連動している。壁紙やシート等の人工的な色合いが大胆に用いられ、表示と連動することにより識別性を高めている。様々な世代が利用する公共施設ならではのサインのわかり易さという点では、情報は最小限にまとめられ、色の印象が補助的な役割を担っている。

3つめは各階をつなぐ階段室周り。手摺壁の内側のパネル部分に、半透明のカッティングシートが施され、動きに合せて様々な重なりを見せている。色そのものではなく透ける・重なるという現象が設えられた空間は、例えば内覧会時は雨模様だったが、そうした天候の変化、あるいは季節の変化を写し取ったような繊細で奥深い変化がつくり出されている。

階段手摺壁の色の重なり
これら各所に展開された色の重なりは、数少ない色を組み合わせることにより様々な事象を表していたかつての日本文化、重ねの色目がテーマとなっている。人の動きに合わせ、見る位置、眺める角度によって様々な組み合わせが目に入るが、都度発見があるような奥行きのある構成が考え抜かれている。

各所の空間構成にはテーマに添ったカラーが展開され、空間毎のまとまりや部材の形状に合わせた色遣いは、色彩設計の王道とも言える手法であり、見事な色彩調和が成されている。その中でもアーティストである流氏の力量・感性が最も発揮されているのは、やや重厚さのある氏の油彩とそれを取り巻く階ごとのテーマカラーのバランスではないかと感じた。色を使っていながら、それらは環境の地としても機能している。

4階の作品。柱を取り囲む、景色のようなアート。
色を組み合わせるということの効果や妙味はここにあると思うのだが、空間を支配する・支配されるというギリギリのところが、各階のフロア構成に合せてとてもうまく取りまとめてられている。
中でも4階の色彩調和は、木製の家具の色とのなじみもあって、強い対比でありながらとても心地の良い温かみのある空間となっており、空間に色を使う際の良い手本となる環境なのではないかと感じた。

各階の油彩とクロス・カーペットの組み合わせ、エレベーターホール周りのクロスやシート、サインのアクリル等との組み合わせ、階段室のスチール手摺と半透明のシートとの組み合わせ等、マテリアル・色彩共に実に要素が多く、各所で様々な色の対比と同化が繰り返されている。
正直、個人の感想としては個々の空間(場)での色彩調和には全く違和感はないものの、この3つのバランスが完璧なものだとは言い難い。全体のコンセプトも筋が通っているが、そのコンセプトに忠実であろうとするあまり、空間(場)とのバランスが危うくなっている箇所も見られた。

一方、所々に様々な要素が展開されていることで、それぞれが競い合うように色の効果を発揮していることには大きな可能性を感じた。例えば抽象化のためにあらゆる要素を排除し、白くしていくことと比較すると、その方がはるかに容易く感じるほどである(もちろん実際にはすべてを白くすることも難儀ではあるが。)

最後に話を伺った建築設計者も「色を使うことは本当に難しい」と言っておられた。抽象化すること・色を使いこなすこと、どちらも共に難しいのであれば、こうして色を扱うプロであるアーティストの力を借りて、困難な空間構成にチャレンジすることに賭けてみる価値があるのではないだろうか。

本プロジェクトでは空間がもたらす視覚的な楽しみが、アーティストと建築家の協働によって具現化されている。

自己紹介

自分の写真
色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂