2013年12月29日日曜日

見本帳に無い色を指定するにはどうすればいいのか?問題

2013年も残りわずかとなりました。
今年は一層、様々な調整に関わる機会が多く、その度に『根拠のある選定の理由』をきちんと説明すること、そして時間の経過を見据えて判断をすること、を心がけてきました。

まだ解決には至らないことも多くありますが、その中でも次年へ引き続きの課題として何か良好な策を生み出し、実現に向けて動いて行きたいと考えている事案があります。その件については、年末年始、様々な情報や事例を整理した上でここに記載したいと思っています。

下の写真は日本塗料工業会が発行している塗料用色見本帳の2013年度版に掲載されている632色マンセル色度図にプロットしたものです。上段の彩度のグラフを見ると、特に寒色系は彩度3・5が無く、上下(2または4)いずれかに割り振られていることがわかります。

2013年度版の632色をマンセル色度図にプロットしたもの。彩度の偏りが一目でわかります。
明度と組み合わせて考えても、例えば落ち着きのある『5PB 3/3』『5PB 4/3』等の色番がありません。もちろん実際には存在しますし、塗装見本などをその数値狙いで指示をし、作成することは可能です。色は物理的には無限ですから、632色という色数でも足りないと思う場面が多くありますし、建築や環境・景観という側面に限定すればもう少し低彩度色が充実しても良いように思います。

この色とこの色の間、という指定も可能ですが、そうした中間色や見本帳に無い色の指示は(自身の分野においては)ほとんどの場合通用しなくなってきました。番号に無い色は再現・管理できないというのは思い込みにすぎませんが、やはり手間はかかりますし、場合によってはコストが高くなることもあります。こうした事情を鑑みると、これだけ一般に流通している色見本帳が果たす役割は大きく、その質が日本のまちなみ(の一定の部分を)担っている、と言えるのかも知れません。

2013年度版には屋根用塗料カラーパレット、中国建築用塗料カラーパレットなどが解説と共に掲載されていますが、これをもっと『日本の』建築用に編集し、豊かな低彩度のグラデーションを見やすくしたり、間違いのない色合わせが自然に出来るような構成(配列を変えるだけでも更に見やすくなる)を検討してみたいと思っています。

もちろん、こうした色見本帳に頼らず、独自に調合をし何度も色見本で検証し、素晴らしい色彩空間をつくりだしている建築家も数多くいらっしゃいます。施主と直接話をする、或は現場を監理する立場であればそのようなやり方は可能ですし、私達も事情が許せば、あるいはどうしても見本帳の色番では不具合が大きく、また他への影響が大きすぎると懸念される場合は、そのような方法をとっています。

今年最も印象的だった身近な方の言葉に『どこまで本気か』という一言があるのですが、そこはまさに、『本気さが問われる』ということになるでしょう。

しかし日常の不具合はアドバイスの場面や(間に様々な人や部署が介在する)、既に大方の要素が決まってしまった段階で、部分的な調整に携わらなくてはならない場合等に生じます。常に自身が全ての決定・管理に携われるわけではないということを考えると、広く流通しているシステムを有効に活用することに(まずは)ベストを尽くすべきだと思っています。

色は無限とわかっていながら、632色の中から選定しなくてはならないという現実。色見本帳に掲載する色を選定している側に訴えかける、等の方法があるかも知れません。

一方、自身はコンクリート打ち放し色の測色等を続けていますが、実務に携わる立場からそうした現代の建築と相性の良い色やスケールや距離の変化に応じられる色等、『勝手に推奨色セット』をつくってみてはどうかと考えています。色々な建築家の方に『よく使う色』を伺ってみるのも面白そうです(日○工の色見本帳なんか使うかっ!って怒られたりして…)。

2014年も自分に出来ること・自分ならではのやり方を考えながら、素材と色彩・まちとまちなみについて、色々なチャレンジをして行こうと思います。

皆さま、どうか良いお年を。

2013年12月10日火曜日

マテリアルが持つ時間について


学生に課題の撮影には携帯を使わないよう言っていますが、自身のiPhoneの画像フォルダには気が付けばこのような写真が溜まっていきます。どこへ出かけても気になるのは、表情豊かなマテリアル。スケール感、重量感、テクスチャー、色合い、色むら。周辺の空気感もふくめあらゆる事象と渾然一体となり、でもその場で凛とした存在感を放っている。
そんなマテリアルに強く惹かれます。

グレイ×せっき質タイル=温かみ

紅葉した葉がそのまま壁になったよう @上野

それは単にタイルや煉瓦が好き、ということとも少し異なるかなと考えていて、惹かれる理由を何とか言葉にしたい、といつも苦心しています。マテリアルにはふさわしい『居場所』がありますから、いつどのような計画でもタイルや煉瓦を使おうということではもちろんなく、でもこうした素材の持つ表情の豊かさが身近にあって欲しいと思っています。

その居場所とは構造がつくるものです。そのことに気が付いてしまった昨年、必死で建築の構造のことを考えています。自身が違和を感じる建築物は、構造と素材が馴染んでいないためなのではないか等、構造と素材というテーマはそれが景色となって表れることの効果や影響を説く一つの切り口になるかも知れません。

私はまじまじとマテリアルを見るとき、そこにどのくらいの時間(情報)を読み取れるか、ということを考えます。これまで・いま・これから。タイル一つをとってもこの一枚がこうして壁面の一部になるまでには膨大な時間と多くの人の手を介していますし、原料である土を考えるとそれこそ私たちが産まれる前からこの世にあるものであり、素材一つが数十年・数百年という単位の情報を持っているのだと感じます。

それは現代の建築や工作物が持つ寿命をはるかに超えることすらあり、マテリアルが持つ強度はこれからのまちなみにどう影響して行くのだろうかということに思いが募ります。

森鴎外記念館。表面が削り取られ、なめらかな手触り。

床にも同じ煉瓦が使われています。

先日、今年最大の目標でもあった上州富岡駅の煉瓦積現場見学会を実施することができました(こちらのまとめは別途作業中です)。コンペの一等案により生まれ変わる新しい駅舎に対し、煉瓦という『素材としては比較的ありふれた』材料が用いられています。

設計の思想に基づき選定された煉瓦のサイズや色合い、それを監理するメーカー・現場、そして実際に積み上げる職人の技術と知識。初めて煉瓦が積まれる様を体感し、煉瓦というありふれた素材がとんでもなく未知の可能性を秘めているマテリアルだということを実感しました。建設中の上州富岡駅では煉瓦の『新しい使い方』が検討・実証されつつあり、見学会を開催・参加した立場として竣工後にも是非再訪したい施設です。

一方これは素材が泣いている、と感じる場面もあります。
今日見たとある現場(自身の仕事には関係のない)では、素材の良さを台無しにしてしまうような『ある工夫』が施されていました。勿体ない、の一言に尽きます。

この一年の間に煉瓦職人や煉瓦を製造するメーカーの方の話を聞いたり、様々な施工例を見たりする中で、タイルや煉瓦それぞれの表情を生かす目地の扱いや積み方に対する理解や興味が益々深まっています。でも自身がそれを形にする機会は、まだもう少し先でいい。もう少し時間をかけて、マテリアルが持つ膨大な情報量と向き合っていきたいと思っています。


2013年11月21日木曜日

建築学生からの質問に答えてみました-その3

今年の1月、立命館大学の学生が『建築と色彩の素敵な関係』というレクチャーを企画して下さり、その際のアンケートにたくさんの質問があったので『建築学生からの質問に答えてみました-その1』 『その2』 に回答をまとめておきました。

そういえばその時の質問がまだ残っていたな、ということに薄々気が付いておりましたが、12月を目前に年を越すのはさすがにまずいのではと思い、重い腰を上げることにしました。

改めて読み返してみると、ごく基本的な色彩学の知識を身に付けていれば解決できることが殆どです。見え方の特性や良し悪しを決定づける科学的要因を踏まえた上で、経験を積み重ねて行くこと。私が建築・土木等の設計を学ぶ学生に伝えたいのはこの2点につきますが、来年はより有益な方法論をまとめてみたいと思っています。
具体には、『色彩選定の7か条』のようなものです。

質問後半の3点は、実は口頭でもよく聞かれることです。色彩心理についてはテキストも多く、興味はあるものの…という方も多いのではないでしょうか。心当たりのある方、ご参考になれば幸いです。


【質問7】色と心理
●カラーセラピーみたいな色で人間の気持、感情ってコントロールできるんですか?
コントロールできる、と考えているのが色彩心理学等の分野だと思います。実際、ファッション等では演出の方法としても活用されていますし、クリニック等の色彩計画に取り入れられていることも多くあります。

自身は色がもつ力や作用に興味を持ってはいますが、その力をことさら強調して利用しよう、とは思っていません。なぜなら、そうした効果には絶対的に個人差がありますし、感情はそもそも刻々と変化するものだからです。

寝室のインテリアにブルー系を用いた部屋の住民は、睡眠時間が長いというデータがあります。アメリカのホテル経営会社が行った調査の結果です。その効果が確かなものだとしても、青系色が持つクールな側面や他の部屋とのバランスなどを考えると、やはりデザインというフィルターを通すことが重要なのではないか、と感じます。

色が持つ心理的な効果をただ手法として応用するのではなく、現象として空間に組み込んでいく、というプロセスが必要だと思うのです。

色使いにはその土地の文化が表れます。個性の強い補色対比、色の持つ性格を超え空間を彩ることの力強さ、暮らしぶり。色から読み取れる情報は多様。(2013年8月・ジャカルタにて)

●感情に与える影響(赤→怒、青→悲など) 
※箇条書きだったので、どういう質問なのかは不明
これも上記と同じことになりますが、色の持つイメージや効果は多様であり、赤でも暖かみや愛、青でも鎮静や知性、等の感情と結びつくこともあります。近年ではむしろそうしたイメージや概念と異なる展開により、意外性・話題性を打ち出していくという戦略も見られるのではないでしょうか(トヨタクラウンのピンク等)。

例えば赤が怒りの感情を表現する時の色にふさわしい・多くの人がそう感じるということと、赤い椅子が怒っているように見えるということは即イコールになりません。色の持つイメージを設計やデザインに展開した時、ロジカルに解くことが出来ないのは問題だと思っていて『怒りに満ちた空間を設計したい』という発想から赤が出てくる、といことはアリだと考えます。

色の持つイメージを活用することはとても面白い・豊かなことだと思いますが、その色の性質をダイレクトに伝えることは、特に三次元空間ではとても難しいと思っています。先日ある建築家の方が『結局のところ、空間の質を決めるのは構造である』と仰られていて、色単体を見ている訳ではありませんから、色が感情に与える影響が独り歩きさせるためには、そういう構造から考える必要があるのではないか、とも思うようになりました。
光(の色)がテーマですが、ジェームズ・タレル氏の作品のイメージに近いでしょうか。

【質問8】プレゼンに使う色
●鉛筆画のスケッチはうまく描けるが、色を塗ると台無しになることが多々ある
色は距離によって見え方が変わる、という絶対条件を意識すること、でしょうか。そもそも、色を『塗る』必要があるかということとも関係がありそうです。それがどういう素材か、構造か、ということによって、自ずと色が表れてくることが理想、というべきかもしれません。(参考:沈む色、浮き出す色

初歩的な取り組みとしては、次の2つが挙げられます。
色彩の心理にはいくつかの要因があり、その中に面積効果というのがあります。色見本等を比較する際、同じ色でも面積の大きい方が『明るく・鮮やかに』見えます。逆を言えば実際に壁面全体に使う色をそのまま1/100の立面図に着色すると、『暗く・鈍く』見えてしまうことが良くあります。
これは色の見え方の特性として仕方がないことなので、その前提を踏まえ、強弱をコントロールすることが(テクニックとして)効果的だと考えます。

もう一つはテクスチャーの表現方法です。現実には色単体を見ていることはほとんどなく、マテリアルの質感も含めて判断をしていますから、そのスケール感をどう凝縮・デフォルメするか、ということが重要なのではないかと思います。

例えばモザイクタイルの表現などを縮尺に合せて縮小していくと目地が強調され、図面が真っ黒になってしまいます(ものすごく当たり前のことなのですが、色でも同じことが起こっているということを示したので、あえて書いています)。色が苦手、と思うならスケッチやプレゼンの図面に無理に色を『つける』必要はなく、『伝わる』見せ方を考えれば良いのではないでしょうか。

例えば実務では、引きだしてマテリアルの写真を添付したり、実物のサンプルを提示したり。色はコミュニケーションの手段でもありますから、狙いが伝われば表現方法はどうでも良いのでは、と思うこともあります(…非常勤しててこんなこと言っていいのかなとちょっと思いつつ)。

●CG空間で色別に反射率を求める方法を知りたい
ごめんなさい、これは完全に専門外なので、別の方に聞いて下さい。

●カラーカードで判別した色をRGB値に変換する方法を知りたい
マンセル値→RGBに変換、等で検索すると、そういったサイトが沢山あるので、探してみて下さい。

●プレゼンに効果的な色の組み合わせ方
これは目的によって異なる、としか言いようがないのですが…。『どういう効果を狙うのか』を明確にすることが先決で、色先行で行くと大概おかしな結果になる、というのは自身の(若い頃の)経験です。

【質問9】その他
●国によって建築の色の映え方が違うのはなぜですか?
距離によって見え方が変わる要因は、湿度や空気中の眼に見えないチリ等、光を拡散させてしまうものにあります。網膜に光の反射が届くまでに、拡散する率が高いと色が鈍くみえたり、暗く見えたりすることはこれで説明ができます。

もう一つは、太陽高度の問題です。今年初めてインドネシアに行く機会があり、湿度は東京以上に高いのですが、色がとてもクリアに見えることを不思議に感じました。現地の設計事務所の方々と打合せの最中、西日をどう避けるかという議論がなされており、現地の方が作成した日影図を見ているときに気が付いたのですが、日本とは太陽高度が異なるので当然、同じボリュームでも影のでき方が違います。

昼間12時では1.5度くらいの違いしかありませんが、14時になるとその差は13.1度程の違いがあり(11月の場合)、日中も長く太陽が高い位置にあることから、色がクリアに見えるという状況になるのだと思います。

タマン・サリ(ジョグジャカルタ)。経年変化している壁にも透明さを感じました。
インドネシアの色彩調査では、建築外装色の色相がY(イエロー)系に集中していることがわかりました。樹木の濃い緑と素焼き瓦の屋根の赤、そして外壁の黄系。特に古い街並みに多く見られたこうした配色は、インドネシアの中でも地域毎に微妙に異なっているそうです。
…このリサーチ結果のまとめも、おいおい掲載して行きたいと思います。

●色を含めた様々なものに対するセンスが無いのが悩み
この『センス問題』については、自身の中では解決できていて。
一言でいうと、『とにかく沢山のモノを見聞きし、なぜ良いと感じるか、要因を考えまくって相互の位置や関係性を整理する』訓練を重ねることで解決が可能、と考えています。

センスとはそもそも五感、を指すそうです。いつの間にか美的感覚や感性、という意味が強くなっているように感じますが、感じる・感じ取る力、という方がしっくりくるように思います。特に美大生からこの質問を受けることはものすごく多くて、自身も学生時代のコンプレックスの最たる点だったかも知れません(今となっては何でそんなことで悩んでいたかしらという程のこと)。

とはいえ、今はセンスがある、と自信をもっていえるものでもいうべきものでもなく、個人的にはあらゆる創造行為を『センス問題』で片付けることほど、ナンセンスなことは無いと思っています。

2013年11月12日火曜日

地の色が整うことで、見えてくる個性

10月末、次回(2013年11月17日・日)のMATECO連続セミナーのための取材という名目で、長野県の小布施町でのんびりしてきました。このまちの色彩がもたらす魅力は一体何なのか、ということずっと考えています。

今回、2008年の年明け早々に初めて訪問して以来の再訪でした。前回は測色を行っていませんでしたので、まちの雰囲気を思い出しながらささっと測色のデータを集めて来よう、くらいの気持ちだったのですが、着いた途端、そんなお気楽な気持は吹っ飛んでしまいました。

栗の木のブロックが敷かれた舗装
この5年の間に、自身の色の見方も随分変わったな、と思います。視点は相変わらず、周辺や場との関係性に置いていますが、より微細に、変化や対比により一層敏感になったように感じます(オタクぶりに磨きがかかった?)。

老舗菓子店の軒先にあった、ブラウンのゴムホース
改めて、『修景』ということの重みを感じながら、小布施のまちを歩きました。ここでは住民の多くが何か新しいものをつくったり取り入れたりする際、『それがこのまちの景観にふさわしいか、否か』という判断基準が持ち出されるそうです。

この水やりのゴムホースを見かけた時、思わずシャッターを切りましたが、まあそんな観光客は私くらいのものでしょう…。

色を整えると工作物もしっかり景色になるのでは、と思います
色を統一する・調和を図る、ということについては、その一律さがもたらす単調さへの懸念や創造に対する思考停止のように思われる方も多く、様々な経験を重ねてきた専門家との議論になるとよく『茶色で統一する傾向は良くない』『周りが良くないのになぜ合せなければならないのか』と言われます。

先日もとある建築家の方が『自治体が決めた赤系の舗装に合せるのはどうなのか、都市的なまちに合わない、どこかで縁を切って良いものに変えていってもいいのでは』という趣旨の発言をされていて、思わず納得したものの、その一方では『長くそこにあるもの(の色を)尊重する、という判断は本当に検討に値しないものなのか?』とも考えてしまいました。

それはFacebookに投稿された一枚の写真と、それについてのコメントだったのですが、面白かったのは他の方が舗装以外のことにも言及し始め、『茶色のガードレールは良くない』 『擬木のガードレールやインターロッキングは撲滅すべし』等といった意見が噴出し始め、建築家が日々色々と苦労されている様子を伺い知ることができたことです。

アースカラーや茶系を嫌う建築家は私の身の回りにも本当に多くて、それこそ思考停止なのではないかと思ってしまうのですが。そこに長くあるものに合せることが、そんなに創造性のない行為なのか、長いものに巻かれることをヨシとしてはいけないのか、いつもその疑問が残ってしまいます。もちろん、悪しき習慣を断ち切る勇気や挑戦は必要なことも理解した上で、です。

先日マーケティングに関するコラムに、なるほどという一文がありました。色は名前がついていた方が親しみがわく、という分析データがあるそうです。例えば『茶色』よりは『コーヒーブラウン』の方が印象が良く、対象物のイメージと合致しなくても(例えば車にコーヒーブラウン、という色名がついていても)好感をもたれる割合が高いそうです。

景観色、景観配慮色も同様に喰わず嫌いをなくすため、『カフェラッテ』とか『エスプレッソブラウン』等と言ってみようかしら…等と思いますが、どうでしょうか?

と、話を小布施に戻して…。
目立たせる必要のないものの色を統一したり、店先が見苦しく無いように気を配ると、何が見えてくるのか、ということを考えています。
5年ぶりの小布施には、新しい色や色使いが沢山ありました。

2013年秋にオープンしたばかりの新しい店舗。彩度の高い外装色ですが、色相は周辺と同じです。

深い緑の中にヴィヴィッドなイエローと真っ赤なひざ掛け。はっとする色ですが、閉店時は隠れる色。
下の写真も新しい店舗の一画ですが、鮮やかな色がとても印象的に見え、商業施設らしい賑わいや活気が感じられました。

古い蔵を改装したえんとつカフェ。○(えん)と凸の文字をアレンジしたシンプルながら印象的なロゴデザイン。
白いテントとダークグリーンのテーブル&チェア。洋風のデザインですが、違和感なく重厚な蔵のまちに馴染んでいます。
菓子店の店先に設えられたカフェスペースはテントの色がお店ごとに異なり、それぞれの個性が演出されています。
印象的に演出したいもの、少し控えめでいて欲しいもの。そうしたヒエラルキーがとても明確で、見ていて迷いや狂いが感じられません。民度が高い、などと外部の人間が口にするのは気が引けますが、本当にこういうことがまちの美しさを支えているのだなと思います。

りんご畑の侵入防止柵。華奢な支柱に、動物除けの鉄線が張られたもの。
畑を動物に荒らされるという被害は、アドバイザーをしている山梨でも多く耳にするようになりました。丹精込めて育てたものを守りたいという気持ちは当然のことですが、そこで更に『見苦しく無いように』という気持ちも働くこと、これが客人に対するもてなしということなのだとしばしこの場に佇んでいたくなりました。

一つの側面からのみ、ものごとを判断しないこと、を心がけています。良いデザイン・良い色彩。それを単体として評価することは容易いかも知れません。畑を被害から守りつつ、美しい景色を生かす。或は、現代の生活に必要な便利さ、機能を損なわずに、まちがこれまで育んできたものに敬意を払い、そのエッセンスを継承していく。

素材や色にできることがまだまだある、という気持ちを新たにした、一泊二日の旅でした。

2013年11月1日金曜日

解像度を合わせる、という調和の図り方について

実に久々のBlogです。
今年前半は様々なアウトプットに追われ、じっくり振り返ることが後回しとなっています。

去る10月5日(土)の大イベント、MATECOの十人素色を無事に開催することができ、こちらのまとめもまだまだ進行中ですが、少し自身のことに目を向ける余裕が戻って来ました。

最近のいくつかの出来事に触れながら、改めて調和とは何ぞや、ということを記しておきたいと思います。

以下の写真は最近開店したとある市の店舗です。
先に申し上げておきますが、ここに例として挙げますが、この店舗を色彩の観点から批判することが目的ではありません。あくまで、景観法ができた現在でもこうした状況が改善できないのはなぜか、更に店舗の利益を損なわずに(例えばCIカラーなどの使用を制限しない方法で)『周辺環境との調和』を図ることはできないものか、と考察してみた結果であり、今後も続く自身の研究のような位置づけです。

数キロ離れた場所からも外装色・店名が認識される外観

この一年程、解像度、という言葉が気になっています。身近な建築家が用いる場合もありますし、自身がプレゼンテーションの際に説明に用いたり、最も頻度が高いのはスタッフとのミーティングの際、『この段階ではこれくらいの解像度でまとめるべき』とか、『この資料だと解像度が足りない』という具合に、深度や強度を共有するための言語として用いることが多くあります。

周辺と解像度を合せる、ということが調和につながる、と定義してみる
解像度とは画像における画素の密度を示す数値の事です。数値が上がるほど密度が高まり、解像度の高い画像は拡大した際などにも荒れることなく拡大して印刷物や大画面への出力に用いることができます。逆に解像度を下げるということは例えばメールに画像を添付して送信する際など、『全体の印象を保持しながら軽いデータに落とす』際などに用います。

画像等を扱う場面で言えば、解像度の高低は使用目的に応じて使い分けること、がプロの仕事の基本であり、確認・出力・保存等、それぞれの目的にふさわしい解像度が設定されています(業種により色々な解釈があるものの)。

これを景観、に置き換えてみたとき。こうした眺望景観等は遠景といい、距離を置いた視点場からある程度の範囲を捉え群となった個を見ています。色の見え方は距離を置くほど網膜に反射光が届くまでに光が拡散してしまいますから、明度・彩度共に徐々に下がって(鈍く)なっていきます。かたちの見え方も同様、輪郭は甘くなりフォルムも距離の変化に応じて曖昧になっていきます。

視点場から見る景観は遠景・近景に限らず、距離感と共にあります。遠くの山々の緑の葉一枚のかたちや色は同じ植物であっても足元にあるものとは見え方が違いますし、手前から奥に向かって物体が徐々に小さくなっていくという遠近感は『奥行や距離の違いを認識する手がかり』として眺望景観の保全には重要な要素です。

ということを言うと、『看板は目立たないと客が来ない、商売を妨害するのか』と言われそうですが。ここまで、看板を出すなとも使いたい色を使ってはいけない、とは一言も言っていませんので念のため。

二枚目の写真のように、例えば解像度の『度合い』を周辺と合せてみてはどうか、ということを考えています。距離の変化に応じ、見え方が拡散していくようなイメージです。原色の赤や黄であっても、面積が周辺のスケールから逸脱していなければ、距離を置いた時には周辺と同じように曖昧になってくれる場合は多くあります。

…まあ遠景からも何が何でも『店舗名と存在を主張したい』という意志に対しては通じない手法ですが。

実ははこの事例、どうすれば景観の阻害要因(この例で行くとスケール感を逸脱して目立つことに対する懸念)とならずに済むか、色々とアドヴァイスをしてきた案件です。色の使用面積を抑える、施設自体の分節化を図る、看板をパラペット(建物の上端)より高くしない、文字の大きさは建物高さの1/5程度でも十分走行する車両から認識できる…等々。

法的な整備が整っていない段階で協議をしなければならないという状況。基準がある訳ではありませんから、何色を使おうがどのような大きさの看板を付けようが、自由です。結果、こうしたものが次々と表れることに対し、互いの立場を尊重することは本当に不可能なのか、という問いは専門家である自身が解決すべき課題です。腹を立てても何も解決しませんから、己の無力を恥じた上で、法による規制の次、を考えて行かなくてはなりません。

(色彩)基準は不要、という意見は変わらず多くあります。誰だって自由に、好きなものを創造する権利があり、新しいモノの出現が世界を変えることもある(ごく稀に)という認識は持っていますが、最終的には『この姿はこの場にふさわしいかどうか』という思いがのしかかります。

この現状を目にした数日後、小布施を尋ねました。

岩松院のそばにある、ゆうすげ花壇
小布施では修景、という意識が広く住民に浸透しているそうです。ちょっと長くなってきたので、詳細は11月17日(日)に開催する素材色彩研究会MATECOの連続セミナー及びそこで配布する資料に任せたいと思いますが(…我ながらうまいつなぎだ!)、景色を眺める、ゆっくりとまちを歩く、ということの楽しさや喜びをしみじみと感じさせてくれるまちでした。

自身は『素材と色彩』という、景観の解像度をぐーっと上げて行った時に目に触れるものを特に大切にしていますが、高い解像度をなめらかに下げていく・周辺と合わせることで整う関係性、を解いて行きたいと考えています。

マテリアルと都市・まち、というスケールを行き来する手法を構築していきたいものです

2013年8月14日水曜日

測色017-MIKIMOTO GINZA2のメタリック塗装

測色から随分と時間が空いてしまいました(…6月29日)。
7月は合計14日間、海外で現地調査をしたり、MATECOや会員となっているNPOの活動等、様々な企画の調整事項に追われ、気が付けばあっという間に8月という状況です。

色々と優先事項を付けて行くと、日々の記録がどうしても後回しになります。その間、何かと比較したり関連する案件等をメモしたりしながら、忘れている訳では無いのですが、時間のおかげで普段自分が考えている色々なことが繋がって行くような感覚もあります。

今回測ったのは建築家の伊東豊雄氏が設計し、2005年に竣工したMIKIMOTO GINZA2です。
ファサードに継ぎ目がなく、構造に大変特徴のあるビルです。2枚の鋼板の間にコンクリートを充てんし、20センチという壁の厚さそのものが構造体になっている、のだそうです。

と、ここまでの情報はこちらの記事を参考にしました。この中に記載されている『鋼板の溶接は手で行っている』という部分に、興味を惹かれました。新しい技術は人の手によって(原始的な方法で)実現されており、そのようにして完成したなめらかな壁面に均質な塗装が一段と映えているのだ、と感じます。

壁面の色は5RP 7.8/2.5程度。RPはレッドパープルですから、赤みに寄った紫系統の色、ということになります。日塗工の色見本帳がもしお手元にあれば近似色を見て頂きたいのですが、このRP系の彩度2.5という色は色見本帳で見たときに随分と色味を感じる色だと思います。特に建築の基調色に、と考えると尚更です。

彩度2.5、がにわかに信じられず、しっかり近寄って計測しました。
この鋼板に施された塗装を近づいてよく見ると、自動車等に見られるような金属調であることがわかります。金属の粒子が外部からの光を受けて輝き、見る角度によって見え方が変化します。もしかするとパールの光り方、がイメージされたのかも知れません。

外観を見上げるとその特徴が顕著に表れます。正面から対峙するように壁を見ると、確かに彩度があり、かなりピンキッシュな色であるという印象を受けます。ところが、視点を変えてファサードを見上げてみると、建物上部の方は白っぽく(色味が飛んで)見えます。下の写真でもその様子を捉えることができていると思います。

視点により色の見え方が変化するファサード。
最近、○○調・○○風、という新建材に辟易してしまう部分があるのですが、人工的な建材の場合、もう少し色そのもので勝負すべきなのではないか、と感じることが多くあります。

この鋼板のメタリック塗装は地が金属ですから、金属×金属塗装は当然基材との一体感があるというか、壁自体の量感やともすると巨大な印象を与えてしまいがちなフラットな壁面の見え方がとてもうまくコントロールされている、と思いました。

ミキモトというブランド、銀座という立地。淡くピンキッシュな色調は、当然店舗を訪れたり街をゆく洗練された女性たち、のイメージもあったことと推測します。金属・鋼板そのものは硬質でシャープなイメージを持っていますが、こうしたやわらかな色も馴染む(形態や規模によるものの)のだ、ということがとても新鮮に感じられる一例だと思います。

逆の例でいくと、地方の歩道橋等にこうした色(やわらかなパステルカラー)が展開されいていることが多くあります。そういう例を見ると『金属に軽い色は馴染みにくいな』とずっと思っていたのですが、光沢感等も含めた塗料の質、も大きく影響しているのだと考えるようになりました。

ちなみに、このメタリックカラー。特別な建築でなくても、私達も普段からよく使っています。色見本の作成を指示する場合はオートカラーという自動車補修用の色見本帳を活用しています。これは一般にも市販されていて、光沢感等がリアルに再現されたカラーチップと共に、自動車メーカー・車種・塗色名・塗色番号等が掲載されています。

例えば集合住宅やオフィスのエレベーターの鋼製扉。仕様はステンレスエッチングで入っていて、でもどうもその質感ではインテリアに馴染まない、などということがよくあります。かといってべたっとした塗装だと傷やほこりの吸着が目立ちやすく、面積的にも色の印象が強調され過ぎてしまいあまり好ましくありません。

こういう時、メタリック(焼き付け)塗装は、色と質感の両方の側面から、とても重宝します。インテリアの場合は照明の効果を生かし、なめらかな金属の質感を品よく浮かび上がらせることも可能です。

オートカラーの面白い所は、車種別に色見本が配列されているところです。眺めていると、欧州車には深くて鮮やかな緑や赤などが数多くあることが印象的ですし、国産車の白系統のバリエーションにも目を見張るものがあります。

この色見本帳はまた、年1回更新されるため数年前の見本帳と比較し、自動車の色の時代による変化を見ることもできます。自動車やファッション等はまちを彩る動く色、にあたります。時代と共にまちの色も変化していると考えるとき、建築物だけではなくこうした要素も含めて考えてみると、その変化が見えるまでの時間の差違も含め、中々面白い分析が出来るのでは、と思っています。


2013年7月31日水曜日

お知らせ-素材色彩研究会MATECO 連続セミナー02

素材色彩研究会MATECOでは2013年6月より『都市・まちの素材と色彩』をテーマに、連続セミナーを開催しています。
第二回は2013年9月16日(月・祝)14:00より、代官山ヒルサイドテラスのE棟ロビーにて、実施いたします。申込については以下のフライヤー・MATECOのサイトをご覧下さい。

第二回のゲストは色彩計画家の吉田愼悟氏(我が師匠です)、聞き手に都市計画家の小出和郎氏をお迎えします。

このセミナーは世界の様々な都市の地域性豊かな素材・色彩について、現地に渡航・滞在経験のある方々にご紹介頂くことの他、それぞれの分野に係わりのある素材や色彩が、その地でつくりあげられてきや景色の成り立ちを紐解いて行きたいと考えています。

吉田氏は今年の5月にパリを再訪し、新しい開発をはじめ、かつて研究留学時代に関わった計画等も見て回ってきたそうです。パリのまちの魅力はエリアごとに様々な表情があることだ、と氏は良く言っています。
歴史あるまちの保全と革新。日本との比較を交えながら、時間がつくる景観というまちの資産について、参加して下さる皆さんと共に議論を深めて行きたいと思います。

連続セミナーのお知らせ。
今回はエッフェル塔はじめ、様々な建築や工作物の色を測ってきたそうです。

2013年7月15日月曜日

沈む色、浮き出す色

先週、浙江省の温州市というところへ現地調査へ行ってきました。最高気温39度という日もありちょっとへばりましたが、終日快晴で写真の撮りがいがありました。

今回の計画は島の一部を埋め立たててつくる新しい街区で、2030年までの都市計画に基づき、色と素材に関する基準をつくるというものです。その計画や結果についてもおいおいご紹介して行きたいと思います。

調査初日に計画地の近くにある島に渡りました。小さな港がいくつかあり、古い集落が山の斜面に沿って建ち並ぶ景色がとても魅力的だと感じました。

築100年以上の、港の集落。
外壁や擁壁に使用されているのは近くの山で採れる花崗岩。
この屋根並みに目を奪われながら歩いていると、瓦の現物が積んであるのが目に入りました。とても薄い、おせんべいのような瓦です。(住民の方がいたら一枚譲って頂きたかったのですが、昼食時のせいか人影がなく断念しました。)

僅かに黄味のある灰色。
瓦を抑える様に、石が並べられています。
瓦単体で見ると殆ど色味の無い灰色ですが、遠景で見ると壁と同じような暖色系の色調に見えます。

モルタルで接着しているよう。とすると、石の役割は…? 
見たところとても素朴な焼き物のようなので、少し時間がたつと素地の土色が表れてくるのだと思いますが、それにしても距離でここまで見え方が変わるかなと思い、色々な場所から屋根を眺めて回りました。

手前と奥では明らかに見え方が違います。
暖色系と寒色系を比べたとき、暖色系の色調の方が『手前に飛び出して見える』進出色です。これは単色で見る際に規定されるわけではなく、他の色(色相)と並置してみた際に個の色の特性、が対比によって際立つという色彩の心理的現象です。

距離を置くほど、ニュートラルな瓦の色は沈み、規則正しく配置された花崗岩の色が際立って見えている、ということになります。外壁や擁壁に使用されている色鮮やかな花崗岩の色は、ニュートラルな色合いの目地によって同化現象が起こり、距離を置く屋根色とあまり差がなく穏やかに見えています。

調査の際は必ず眺望のよい場所(高層ビルの屋上や展望台など)に案内してもらって、そこから町を眺める、ということを行いますが、今回のように斜面地の集落を歩いて回ると、遠景・中景・近景と素材や色彩の見え方が変化して行く様子、を細かく観察することができます。

素材、色、それぞれの特性や性格。こうして距離や時間の変化の中で捉えて行くと、改めてマテリアルのテクスチャーというものが景色に与える影響の大きさを感じます。

この写真などは西洋のまちのどこかのようです。
花崗岩は、とても色鮮やか。
花崗岩や素朴な瓦など、この土地で採集された材料や地域の風土にあった工法でつくられてきた集落。今回、現地のクライアントに調査を終えての印象や計画についての意見などの報告を行いましたが、その際にこうした時間がつくってきた景色はお金では買えないものであり、この現役の集落を保存・活用がとても重要であることや地域の素材、花崗岩を新しいまちの計画にも取り入れて行きましょう、という提案を行ってきました。

海を埋め立ててつくる街並みは、白紙に理想郷を描くような壮大な計画ですが、こうした地域の小さな景色にもゆるぎない価値がある、ということ。担当の方がメモを取り、大きくうなずき同意を示して下さったことを糧に、新しい創造にふさわしい地域の素材の使い方を検討して行きたいと思います。

2013年6月27日木曜日

日本のサイン

先日Twitterにこの写真を掲載したところ、とても沢山の方にRTされたりお気に入りに登録されたりしました。
これは代官山のヒルサイドテラス内です。代官山は猿楽塚等の史跡も見られる歴史ある土地ですが、全国的に有名なお寺や神社ではなく、自分の暮らしの身近な場所にも、このような環境は存在するのだなと思い、やはりデザインを考える上でもう少しモノやコトの変遷ということを意識して行かなくては、と気持ちを新たにしました。

文字や色がなくても意図は伝わるものだな、と思いました。
日本のサイン。これくらいで十分、というところも多いのではないかと常々考えています。過去に撮った写真を探してみたら、そのような視点で見ているものが色々出てきました。

庭園の留め石。ここから先はご遠慮ください、という静かなメッセージ。
御殿場東山ミュージアム入り口にて。裏の林から取って来てつくりました、という雰囲気の侵入防止柵。
その地に・場にある素材を使った表示や工作物。伝統的な建築物と同様、至極自然に周辺環境に溶け込んでいます。

山梨県忍野村でみかけた、駐車場まわりの柵。蕎麦屋の店主の方がつくられたもの。
その地に馴染むということは、単に埋没する・目立たないというマイナスの視点だけではないことが実感できるのではないでしょうか。景観アドバイザーを務めている関係から、特に山梨県には訪れる機会が増えましたが、様々な地域で見られる住民の手による丁寧な環境整備は、周りの景色が引き立ってとても個性的だと感じることが数多くあります。

文字や誘目性の高い色が必要な空間・環境ももちろんあります。でも、どこもかしこも均一に目立たせれば良いかというと、やはり主張や表示には『ふさわしさ』という尺度があってしかるべきだと思います。

それは照明ともよく似ていて、とにかく最大限に明るくしておけば安心・安全、という思い込みをそろそろ捨てて、省エネの観点からも季節や時間の変化に応じた適切な明るさを使いこなすべきである、という考え方と重なります。

数年前を想像することすら難しい、時間の流れ。一方、今いる場所は自身が生きてきた時間より圧倒的に、長い時間を背負っている場合が殆どです。これから10年、20年先を予測することは大変難しいことですが、同じ目線で10年、20年と少しずつ過去を見直していくということに、もう少し気を遣って行きたいと思っています。

2013年6月13日木曜日

お知らせ-GSフリーペーパー第二号発行!(まちあるき地図の作成を担当しました)

昨年から会員になりましたNPO法人GSデザイン会議が発行するフリーペーパーの第二号が完成しました。
内容はこちら。

この度縁あって、同誌に掲載されている神田神保町のまちあるき地図の企画・制作を担当させて頂きました。

第二号のテーマは『まちと○○とわたし』です。編集長・尾内志帆さんが切り取った『今』がとてもリアルに刻まれています。
都内各所や学校等に設置されていますので、見かけました方、ぜひお手に取ってみて下さい。

そして手に取った方は『○○』の部分にご自身が興味ある分野に関することなど、自由に言葉を当てはめて頂くと、まちとの距離がぐっと縮まるのではないかと思っています。

また事務局では設置して下さる団体・施設等、広く募集しています。ご興味のあります方やGSデザイン会議の活動に賛同して頂ける方、ぜひ事務局まで連絡下さい。


今回、まちあるき地図を作成するにあたり、自身が代表を務めている素材色彩研究会MATECOにて『測色ワークショップ』を実施し、そのリサーチの結果を盛り込み、素材と色を頼りにまちを歩く、という試みを行いました。
定員12名のところ、大変多くの方にご要望頂き、当日は20余名・2班に分かれてのリサーチとなりました。実施した測色のより詳細なまとめは、MATECOレポートして編集し近日中に公開する予定です。


色のリサーチは調和やバランスに対するリテラシーの向上を図るための、とても良い訓練です。

素材や色のリサーチは環境色彩デザインに欠くことのできない、ベーシックでありながら毎回様々な発見のある作業です。

普段何気なく歩いているまちも、素材と色という切り口が加わると、それまであまり意識されなかった時間が気になりだす、と参加してくれた学生が言っていたことが印象に残っています。

先日、環境色彩調査には何の新しさもない・面白くもない、とある土木の専門家に言われ、そのことについてずっと考え続けています。新しい手法ではないことは自覚しているつもりですが、参加者の多くが時間を忘れるほど夢中になりマテリアルを凝視する姿からは、ミクロな視点が教えてくれる素材が醸し出す雰囲気や目に見えない時間というスケールを、知ることができたのではないかと感じています。

新しい視点の発見を、創造に生かすために。そうした微細なもの・ことの良さを、大きなスケールに置き換えて双方を行き来することは、MATECOの課題の一つでもあります。

2013年5月30日木曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑥-彩度対比のコントロール

先日、とある球技場の防護ネットに関する相談を受けました。
柱の塗装色は赤みの茶色(5YR 4/2)、ネットは既成品のグリーン(5G 6/8程度)で検討している、とのことでした。

『柱の塗装色の色相、赤みが強いと緑との彩度対比により赤みが強調されるので、景観配慮色のダークブラウン程度(10YR 3.0/0.5)にした方が良い』と発言したところ、担当の方が『…何を言ってるんだ?』という表情をされていて、ああ確かにわかりにくいかもと思ったので少し解説をしておきます。

私達は日常的に、周囲や背景にあるものとの関係性において、様々な事象を認識しています。周囲や背景にあるものに『常に影響され、影響を与える』という状況です。

例えば下の図は、地の色の彩度が図に与える影響を示したものです。左の図の緑は赤(補色の関係にある色相)に影響され、より緑味が増して見えます。

補色による彩度対比の例。
鮮やかな色で実験するとわかりやすいのですが、ここまで激しい対比は現実にはあまり目にしませんので、先の茶色とネット及び自然の緑を想定して検証してみました。今度は右側を見てみると、図の茶色は地の緑の彩度に影響され、低彩度色でありながら赤みが増して見えると思います。

右の図(小さい正方形)の部分は地の緑によって
単色で見た時よりも赤みが増して見える
絵画やグラフィックの世界で多用される2色調和や3色調和の論理はこうした色相や彩度の対比を応用したものです。選定した2色がより強調しあって発色よく見える、という配色方法は、各色をより印象的に見せる効果があります。

ところが屋外空間の場合、2色の関係性だけでは納まりません。周囲に様々な他の要素があり、時間や天候の変化によって見え方がさらに変わるためです。

異なる部材の色を選定する際は、屋外の場合、まずは色相調和が基本だと考えています。ですから、上記の例で行けばネットも茶系か黒にすることが望ましい、と回答しました。

それでも、比較的色のコントロールが容易な塗装色を調整するだけで、随分と馴染み方が変わると思います。以下の図は、茶系の赤みを抜いてみたものです。
目立たせたくない=茶系色なら何でもよい、という訳ではないことが伝わるでしょうか?

茶色の赤みを抜いたもの。かなり低彩度でも、
右の図(小さい正方形)は補色である緑の影響され十分に色味を感じる。
ヨハネス・イッテンの色彩論の中に7つの対比、という項目があります。彩度対比の他、色相対比、明暗対比、寒暖対比、補色対比、同時対比、面積対比、があります。

この7つの対比の特性は、建築内外装の色彩設計にもかなり応用が効くと考えています。
明暗対比と色相対比については、それぞれ以前blogに記したもの、以下にリンクを貼っておきますのでご参照下さい。



2013年5月10日金曜日

お知らせ-素材色彩研究会MATECO 連続セミナー

素材色彩研究会MATECOでは6月より『都市・まちの素材と色彩』をテーマに、連続セミナーを開催します。

世界の様々な都市の地域性豊かな素材・色彩について、現地に渡航・滞在経験のある方々にご紹介頂くことの他、それぞれの分野に係わりのある素材や色彩が、その地でつくりあげられてきや景色の成り立ちを紐解いて行きたいと考えています。

その地域特有の景色の生成に大きく影響を与えている素材や色彩、独自の工法等にフューチャーすることにより、素材と色彩の関係性やそれぞれが持つ構造を探り出したいと思います。またその地域ならではの素材と、その地理的環境や状況における素材や色彩の使われ方を学び、日本のまちの保存や再生、そしてより豊かなまちなみの創造に向けて役立てて行きたいと思っています。

初回のゲストは建築家の山道拓人さん、聞き手には同じく建築家の西田司さんをお招きします。山道さんは2012年、南米・チリのELEMENTAL/Alejandro Aravena Architects に勤務されていました。このチリでのご経験に加え、日本でのご自身の実践を交えながら、まちの素材や色彩という切り口で豊かな社会のあり方についてお話頂き、参加して下さる皆さんとも議論を深めて行きたいと考えています。

建築家によるお話ですが、まちやコミュニティについて等、大変幅広くご活躍をされているお二方ですので、様々な分野との係わりが見い出せるのではないかと思います。

建築・土木・ランドスケープ…をご専門とする方はもちろん、都市やまちに興味をお持ちの方、是非ご参加下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。


連続セミナーの案内

第一回目は“カラフルな社会構築を目指して”というテーマです。

2013年5月6日月曜日

公共の色彩、について。


設計やデザインという職業は人に会う機会が思った以上に多い仕事です。この数年は一段とその数が加速しているように感じます。本業以外のことが増えたせいもあるかも知れません。…ほとんどの人に信じてもらえませんが、自身はどちらかというと人見知りで、初めて会う方に自身の専門分野のことを話すのには今でもかなりの照れというか、気が引ける部分があります。

特に建築家に対しては、若い頃随分と痛い目にあった経験があり、話をする前から構えてしまうところが未だにあります。ところが対話というのはやはり自身の心境が投影されるものなのだなと思うのですが、こちらが覚悟を決めて真剣に話をすれば(賛同を得られるか否かは別として)内容そのものはかなりの精度で伝わるのだなという実感が持てるようになりました。

この二週間あまりの間に世代の異なる三人の建築家の方と話をしましたが、いずれも私が専門とする環境色彩という分野に興味を示して下さいました。この三人の方々には近々、素材色彩研究会MATECOのセミナーやイベントでお話を伺うことになっており、それぞれの方と対話を深めれば深めるほど、自身も益々知識や経験を身に付けなければと思いますし、多くの視座に富んだお話から普段の疑問やモヤモヤがすっと解消されることも数多くあります。

建築家のNさんからは、こんな言葉を頂きました。
『公共、という観点でそのようにまちを捉えることは難しい。よい仕事ですね。』と。(…賛同して頂いたことを自慢したいわけではありません、念のため。)
公共、という言葉を聞くとき、普段それほど公と私の関係性を明確化している訳ではないので、いつも少しドキッとしてしまいます。

公共の色彩のあるべき姿、とは一体どのようなものなのでしょうか?

私達の暮らしを取り巻く環境には様々なつくり手が関わっています。行政が主体となるもの、民間の住宅開発、個人邸…。単体としての公共性、個の所有権というように仕分けをすると、公と私は渾然一体となって私たちの暮らしを取り巻いている、と定義づけることができるでしょう。特に土地の所有については日本ならではの制度上の問題から様々な問題や課題が発生しており、街並みとしての公共性に対し統一的(あるいは共有可能)なビジョンを描きにくい、という側面も十分に理解しておかなくてはなりません。

環境色彩デザインの仕事はまずこの公共、という側面に対していかなる中庸さを発揮できるか、という視点を持っていることが特異な分野であると考えています。

これは一昨年から係っている山梨県での業務の一例です。

改修前。車庫の左裏手が参道となっています。

とある神社の参道の脇に保育園と車庫があります。近年改修したばかりだという保育園の外装色は穏やかな色調ですが、基調色の色相がやや赤みに寄っており、周辺の自然景観が持つ基調色相(赤みの少ない10YR2.5Y系)とは“やや”対比が強調されやすい色相であることに気付きました。暖色系の穏やかな色なら何でも景色に馴染む、という訳ではありません。また山道の脇には生垣があり、車庫の側面はある程度目隠しがされた状態ですが、自然の濃い緑と折板の高明度色が対比的であることも気になりました。

この時の計画の対象は右手にある車庫でした。持ち主からは『調和を図るならば保育園と同じ色にすればよいのでは?』という案が出されましたが、私たちはこの環境で最も尊重すべきは神社の朱赤の鳥居であると考え、車庫に塗装する色相の赤みを抜くことを提案しました。色見本だけではわかりにくいので、フォトモンタージュを使って検証を行い、実施に至りました。

下の写真は施工(改修)後です。写真ではわかりにくいかもしれませんが、現地の皆さんが驚かれていたのは、『車庫に赤みの無い色にしたら、保育園の外装色の赤みが少し抜けたように見える』ということでした。

改修後。車庫の外装は色相10YRで統一しました。

その点、私たちは経験と色彩学という学問においての論理から“そのような見え方になるはずだ”ということは確信した上で提案を行っています。こればかりは中々言葉では伝わりにくいのですが、色彩が周辺に与える影響・受ける影響を鑑みてふさわしい色を選択すれば、周辺の問題すらも(わずかな違和感、ですが)改善することが可能なのです。

もちろん車庫という個の問題を考えるとき、よりよい解決の策はいくらでもあることでしょう。車庫の位置そのものから検証を行うことも必要かも知れません。ですが現況の車庫ありき、で考えるとき、外装色の持つ役割はやはり公共空間に出現するものとして大きな意味と周辺にその効果を発揮しうる要素として捉えるべきなのではないか、と考えています。

室内から一歩外に出ればそこはもう公共の空間です。その中にはもちろん、主張があっていいもの・必要なものもありますし、適度な変化がなければまちの個性や特徴は見失われてしまうことでしょう。そうした前提を踏まえていても最近はよく『とにかく穏やかなグレーやベージュにしておけってことですか?』と言われることも多く、それはそれでまた困ったなあと思ってしまうのですが、では『とりあえず馴染ませて』行くことで、果たしてどんな問題があるのだろうか、ということを考えさせられます。

新しい創造・新しい価値の創造を拒んでよいのか、という視点があるでしょう。自身はそのこと自体、まったく否定する気持ちはありません。が、その場で尊重すべき景色が他にある場合において、さしたる違和感がない状況の生み出し方は本当に不要なのか、とも思うのです。

そしてまた、その違和感は優れた(とされる)デザインが代わる代わる出現することによってのみ解決できることなのだろうか、ということをいつも考えています

2013年4月1日月曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑤-動く色・動かない色

前回は周辺との関係性に配慮した基調色の選定、というテーマで、図と地の見え方の変化についてまとめてみました。

色は常に周辺や背景にあるものに影響され、また影響を与えるという相互の関係性にあり、これは2次元の世界から学べることが数多くあります。学生時代から今の会社でアルバイトをしていたこともあり、この『色彩の相互作用』については常に検証、を繰り返した記憶があります。

背景がこの色であるとき、明度○程度の色がどのように見えるか。この対比(関係)が天候や時間の変化により、見え方にどのような変化を与えるか…。仕事を始めた頃はこうした見え方の変化を数値と共に体で覚えるということがとても新鮮で、どこに行っても外壁や工作物の色を測っていました(…今でもあまり変わりませんが)。

さて今回は動く色・動かない色、がテーマです。
例えば建築物単体の外装色を検討する際、規模が小さなものや形態がシンプルなものであれば、単色を選定することはさほど困難な課題では無いと思います。
(参考:建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学②-失敗がない色の選び方(単色編)

ところが対象物の規模が大きかったり、複数の建築物(用途や規模が異なる)が集積したりする場合、あるいは商業施設などにおいてある程度の賑わいの演出が求められる場合において、穏やかな基調色だけでは物足りない場合も考えらえます。

この強調色、というのが中々厄介です。強調色(アクセント)というとどうしてもビビッドな色を思い浮かべがちですし、鮮やかな色は大抵自然の素材色にはない、人工的につくり出した色が殆どですから、後から付け加えようとするとどうしても唐突な印象になりがちです。

環境色彩におけるヒエラルキー
私たちは常日頃、このような図を用いて対象物の持つ色・持つべき色が『環境の中でどのような役割を担うか』ということを意識します。その際に頼りにしているのが、自然界の色にある動く色と動かない色、という色彩の関係性です。

自然界において一年を通じて動かない(=変化の少ない)色は、大地の土や砂、石や樹木の幹などが持っています。雨に濡れ明度が下がる場合等もありますが、色鮮やかな草花に比べるとずっと変化の幅は小さく、また自然界の中で大きな面積を占めているということが特徴です。

一方、昆虫や鳥・色鮮やかな花、紅葉等は、変化が少なく動かない基調色に比べ面積が小さく、季節や時間の中で見え隠れする動く(=変化の大きい)色です。これらは地表近くに存在する、ということも動く色の特徴です(鮮やかな鳥は空高く飛んでいるときには目線から距離があり強い色としては意識されませんし、高木でも高層建築物等に比べると大地に根付いている色、と言えると思います)。

動かず大きな面積を占める色(基調色)が、季節や時間の中で動く色(強調色)の印象的な見え方を支えているのが自然界の色の法則である、と考えています。

秋の紅葉も刻々と変化するからこそ、季節の移り変わりが印象的に感じられるのであって、鮮やかな色が人工物に置き換えられ、大面積で・高い位置に・恒常的にあり続けることに対し“見慣れていない”という側面があると考えています。

上の図に配置した写真は、左側を自然物の例、右側に人工物の例を挙げています。この図では建築物の基調色に対し強調色は必ずしも建築物が担う必要はなく、周囲にあるものや事象で彩りを演出すべし、ということの概念を示しています。

鮮やかな色を定着させた素晴らしい建築・工作物ももちろん存在しますが、それは形態や素材との関係性はもちろん、強調色があることによって対象物そのものだけではなく、周辺環境にも良い影響を与えている、という評価がなされるものなのではないか、と思います。こうした(鮮やかな色を積極的に使った)事例も少しずつ紹介して行きたいと思います。

ですが自然界の動く色・動かない色の関係性に着目してみると、鮮やかな色は移り変わるからこそ、四季や時間の繰り返しを飽きずに、時に心待ちにすることが出来るのではないか、と感じることがあります。

現代の暮らしでは環境を取り巻く要素として、自動車やファッションといったいわゆる流行色をまとうものがあります。動く人工物は、自然の変化のリズムとはまた異なる時間を刻み、私たちの日常の大切な彩りの一つです。

色彩選定において、慣用色(見慣れている・慣れ親しんできた)という観点はそう簡単に払拭できるものではないと感じます。強調色を・普段使わない色にチャレンジしようと気負うと、大抵納得が行かない結果に終わるのは(そうでない方は素晴らしいので本項、お気になさらずに…)、基調色と強調色の良好な関係性が整えられていないためではないか、と考えています。

強調色を検討するにあたり、留意すべき点をまとめてみると

①対象となる建築・工作物単体(あるいは部位)での検討・判断ではなく、環境全体の中での位置(意味)づけを明確する
②強調色が必要な際、動く色を用いることで解決できないか、考えてみる
③基調色と強調色の間、を考えてみる

となります。但し(色彩デザインは常に但し、がついているような気がしますが…)、強調色=有彩色、とは限りませんし、両者の間に存在する“補助色”なるものも存在します。
次回はこの基調・補助・強調という全体のバランスや割合について、基本となる考え方をまとめてみたいと思います。


2013年3月4日月曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学④-図と地の関係性について

単色を選ぶ場合・多色を選定する場合の基本的な考え方に続いては、周辺の環境を考慮する、あるいは周辺の環境に配慮するという視点から、基調となる色彩を選定する際の考え方をまとめてみたいと思います。

基調色については以前にもいくつか記載していますが、まずは周辺との明るさの対比について、改めて解いてみました。

ある単色が私たちの眼前を覆いつくすという現象は日常生活の中ではほぼありません(白一色に覆われ方向感覚を失ってしまうホワイト・アウト等がそれに当たります)。ある色を見ているとき、必ず隣り合う何かや背景と共に認識をしており、それは背景や周囲から影響を受け、また同様に影響を与えるという相互の関係性にあります。

背景(地)の違いによる対象物(図)の見え方の変化①
背景(地)の違いによる対象物(図)の見え方の変化②
模式的に少し極端な見え方を示しました。明るい白系統を基調とした街並みと、深い緑に覆われた木立の中。中央の図は白から黒へのグラデーションを5段階で示したものです。

周囲が明るい場合、高明度色は馴染んで見え低明度色は対比的に感じられます。逆に周辺が暗い場合は、高明度色は一層際立ち、低明度色が馴染んでいるように感じられます。その色自体が持っている明るい・暗いという印象は最終的には周辺との関係性によって決定付けられるということを考えると、同じ白でもその環境にふさわしい白さがある、と言えるのではないでしょうか。

色彩設計を考えるとき、常にこの環境における図と地の関係性、ということを意識しています。そこには様々なスケールの横断があり、上図のように遠景レベルでの見え方の他、隣り合う他の要素や個々の形態が認識できる中景レベルでの見え方、そして対象物に近接した時のアイレベルにおける見え方を行き来しながら『対比の程度』をコントロールして行きます。

図と地はまた、ともすると逆転して見える可能性を持っています。昼と夜など時間の変化にも影響を受けますし、類似の形態が近接すること等により、地が図としてのまとまりを持つ場合もあります(ゲシュタルト心理学の近接や類似の要因、に拠る。これはこれでまた別項目をつくりたいと思います)。

意図しない見え方をする可能性を理解しつつ、だからこそこの図と地問題は周辺との関係性の中で、丁寧に見極める必要があるのではないか、と考えています。

素材や色を選定する際、何を手掛かりにするかということについては様々な要素や切り口がありますが、まずは基調となる色が環境の中で『どのような見え方をするか』ということを分析してみると、おのずとふさわしさが見えてくるのではないか、と思うのです。

白く際立たせたい、でも周辺の環境にも配慮が求められるという時など、その見え方は周辺との関係性によって決定づけられるということを意識するだけで、微細な調整も『当たり』をつけやすくなるはずです。

まずは遠景にもっとも大きな影響を与える明度(明るさ)の見え方を例に環境における図と地の関係性という考え方を示しましたが、次回は図と地の適切な面積比や割合について、彩度(鮮やかさ)の側面から、自然界の色彩構造を例に解いてみたいと思います。

例えば落葉樹に囲まれた森の中等では、背景の色が大きく変わることにより、対象物の色彩が変化するかの如く、季節によって見え方が変化するという場合があります。よくそのことについて『だから色選びは難しい』と言われますが、周囲の変化が前提で変化のおおよその様子を把握しておけば、そんなに怖がることでもないのになあ、というのがこの仕事を続けて来ての実感です。

次回はこの動く色・動かない色の関係性、がテーマです。

2013年2月21日木曜日

白基調のまち並み、CLIMATレポートより

前回、多色を使って調和を形成するための基本的な考え方についてまとめましたが、その中で

規模が大きくなればなるほど、全て白で、というわけには行かなくなるでしょう(…絶対にあり得ない、とは言い切れませんが)。

と書いたところで、白で揃っているまちがあったなあ、ということに気がつきました。
横浜のみなとみらい21地区です。実際に測色をした結果も併せて『CLIMATレポート』にまとめてあります
ご参考まで。

全体として白さを感じるまちですが、様々な素材やテクスチャーにより、アイレベルでは適度な変化が感じられます。特徴ある形態を持つ建築物が建ち並んでいることも、ともすると単調になりがちな白の印象を緩和している要因のひとつであると思います。

規模や形態、高さの統一、素材や色の統一。現代のまちなみ形成においては、何かを一定の範囲や幅の中に納めることで連続性や一体感を形成する、ということが必要だと思っています。まるで同じにする、ということではもちろんなく、ある幅のなか、で充分です。

それを実証するために、様々なまちや地域で色を測る、というサーベイを行っています。この手法を広く知って頂き、どのようなまちにも必ず色彩の構造がある、ということを様々な計画に役立てて頂きたいと考えています。

2013年2月18日月曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学③-失敗がない色の選び方(多色編)


失敗がない色の選び方(単色編)に続いては、多色を用いる場合の基本について、解説します。

色を使うという一文については、実に様々な意味や解釈があるものだと感じます。中でも、色を使う=カラフルになる、色をたくさん使う=ごちゃごちゃになる、という二点に対する懸念が最も大きいようです。
そもそも、『色を使わなければならない状況なのか』という検証が先にあるべきで、使う必要がある際にも『どのような使い方が適切か』という段階的な検討が不可欠であると考えています。

ところが、なぜか色は“つける”という表現に表れているように、まるで後から塗り絵のように鮮やかな色を着彩することである、と捉えられている節があります。この色を色彩、に置き換えてみると、違和感の大きさが伝わるのではないでしょうか。色彩はつける、よりも施すや展開する、の方がしっくりくるような気がします。更にいうと、『対象物と何らかの調和が形成できるよう検討された数色を組み合わせ、配置する』ことが、色彩を展開することの意味や意義なのではないか、と思っているのですが、如何でしょう?

それでは複数色を用いることが、イコールカラフルさではないこと、また沢山の色を使って一体感や連続性を表現する方法を紹介します。その名を、『色相調和型(しきそうちょうわがた)』の配色といいます。

環境色彩デザインにおいては、いくつかの基本的な調和の型(タイプ)があります。どのような配色でも(対比の強い補色同士等)調和を見出す二次元のグラフィックや絵画等とは異なり、三次元空間では対象物が持つ規模や用途、また建築物が持っている慣例色(素材)等との関係から、特殊な配色は調和を感じにくく、調和感よりも違和感を増大させる要因となりがちです。

この色相調和というのは配色の中でも最も『調和した印象』を感じやすい配色です。その大きな要因は、どのような色相であれ、純色(原色)と白・黒の3色を混合するカラーバリエーションであり、明度・彩度の変化が既に調和した状態である、という点にあります。濃淡が生み出す色彩のグラデーション=階調は音楽でも同様、なめらかさや連続的な変化を表しますから、色相が統一されているという条件が階調の変化を支える軸となり全体のまとまりを保持している、ということが言えると思います。

また濃淡の変化というのは、私達が長年見慣れてきた『身の回りの状態の変化』に酷似しています。夕暮れ時、橙色が闇夜に変わる様子、切り出した木材が風化し色味を失っていく様子、落葉樹が緑から黄、赤へ変化していく様子…。私達の暮らしは徐々に色彩が移り変わること、そしてその変化の幅が大変微細であるという状態の変化と共にあります。

色相調和型の配色を2例、提示します。

色相調和型の配色・その1
上段は低~高明度、低・中彩度色を使って構成したものです。
この段階では、こうした配色をカラフル、と感じる方も多いかも知れません。

色相調和型の配色・その2
次に、全体の彩度を下げ、低~高明度、低彩度色のみで構成したものです。いずれも全て色相は10YR(イエローレッド)系であり、使っている色数は同じです。それぞれトーン(明度と彩度を併せた概念・色の強さ)に変化を付けることによって、複数色を使ってもまとまりを保持したり穏やかで落ち着きのある印象をつくったりすることが可能である、と考えています。

 私はいくつかの自治体で景観アドバイザーという職務に携わっており、月に12度程度の割合で様々な相談を受けます。景観に関する協議のため、建築設計者が図面に素材や色彩(日塗工の色番号やマンセル値)を記載した図面が提出されますが、複数色を使う計画案の場合、この色相調和が図られている例には殆ど出会ったことがありません。

基調色がYR(イエローレッド)系なのに、低層部がR(レッド)系だったり、Y(イエロー)系だったり。近似の色相も類似色相調和、という型の一つですが、使用する部位や面積が様々な場合、色相の類似のまとまりは読みとりにくくなります。差異による変化を恐れるあまり、色相・明度・彩度に殆ど差異のない色群を無意味に使い分ける例も数多く見てきました。使い分けたいけれど、どのくらいの差異が適切かわからない、差をつけ過ぎてまとまりが無くなることを恐れているように見受けられます。

特に外装の場合は形態に合わせて適度な変化をつける=分節化が必要な場合があります。また、上記の例のように複数の建物が混在する際、規模が大きくなればなるほど、全て白で、というわけには行かなくなるでしょう(…絶対にあり得ない、とは言い切れませんが)。

そこで是非検討して頂きたいのが、『色相調和型』の配色です。軸となる色相を決め(暖色でも寒色でも)、その純色に黒と白を加えた濃淡のバリエーションによる配色は、最低限の調和を形成するために最も有効な配色手法だと言えると思います。

最後に、色相調和型の配色に関するまとめです。

●色群の段階で既に調和感が形成されているため、多色を展開してもまとまりが保持されやすい。
●対象物の規模や用途・目的に合わせて、色のトーン(明度・彩度)を変えながら、全体の『雰囲気』をつくることが可能。
●よって、建築・工作物単体の他、それらが複数集積した群に対しても展開がしやすい。

今後他の色相ではどのようなイメージなるか、も紹介していきたいと思います。

2013年2月14日木曜日

お知らせ-平成24年度第3回静岡県景観講習会

お知らせです。
2013年2月25日(月)午後1時30分から、三島市民文化会館小ホールにて開催される静岡県景観講習会に講師として登壇することとなりました。
平日日中ですが、お近くの方・ご興味のあります方、是非ご参加下さい。

テーマは富士山。自身が一昨年から山梨県の景観アドバイザーを務め、いくつかの地域で修計事業に係わっているご縁から、その取り組み事例を紹介させて頂くこととなりました。

当日は三部構成、日本大学理工学部教授の天野光一氏(富士山周辺地域における景観形成のあり方)、NPO法人地域づくりサポートネットの山内秀彦氏(ぐるり・富士山風景街道における景観ワークショップの事例紹介)が参加されます。

まち並みに色彩が与える影響や効果について、多くの事例を交えながら、現況の課題とすぐに・誰もが取り組むことの出来る手法等をなるべくわかりやすく紹介したいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。

2013年2月8日金曜日

建築学生からの質問に答えてみました-その2


一昨年浜松で登壇した『建築家と白について』という対談の際、はじめてじっくりと建築の白について色々と考える機会を得ました。その時は建築家の方と対談という形式で話をさせて頂きましたが、それまで漠然としか理解できていなかった形態の抽象化のこと、また空間がかたちづくられるプロセスにおいて素材(と色彩)の選定が建築家にとってどのような意味を持っているのか等のことを深く知ることができました。
以来、何かとこのテーマについて尋ねられる機会が増え、自身も様々な資料を調べたり色々な建築家の考え方を学んだりする日々が続いています。

先日の立命館大でのレクチャーの際、ぜひこのテーマについて触れて欲しいという要望を頂き、更に出来れば批評をと言われました。専門家としての評価を求められること、特に学生の前ではお茶を濁すようなことは出来ないなあと思いつつ、公の場では自身が評価の軸をどこに置いているかをきちんと明示しなければならない、と感じました。

私は現在、都市やまち、そして様々な建築・工作物に係わる仕事をしていますが、建築の専門的な教育を受けてはいませんので、建築設計という専門的な見地からの批評は出来るはずがありません。ただ、自身が学んできた『色彩学』という学問を切り口とした際、建築の白に対して建築のそれとは異なるアプローチが出来るのではと考えるようになりました。

自身の理解では建築とは文化をつくることであり、時間軸や空間軸におけるあらゆる事象を解いた上で成り立つもの・こと、であると考えています。ゆえに建築の専門的な知識や技術だけでは解けないことも多いはずだと思いますし、私達の眼前にある姿を持って表れる以上、視覚に訴えかける情報・メッセージが発せられるものです。

物体が持つ何らかのテクスチャー(手触り)がかたちを把握するための手掛かりとなり、その質感や色合い、双方があいまってもたらす陰影等は見る人の心理や心情に様々な影響を与えるものです。その素材や色彩が与える影響を、色彩学の観点から解くと何が見えてくるのか…。
この一年半あまり、特にそのような立ち位置を意識して、まちや建築のことを考えています。

さて前置きが少々長くなりましたが、建築学生からの質問への解答、第二弾です。

◎色と時間・白い壁
●質問5 
白い建築はまめに塗り直したりして白を維持しているんですか?
ホワイトボックスが2030年経った時にどんな表情になるのか気になります。

2030年後、私も大変気になります。この仕事に就いてかれこれ22年になりますが、仕事を始めたころはさほど白を意識していませんでしたし、環境色彩デザインの方法論では外装の大きな面積に視認性・誘目性の高い白を用いること(=色彩学的に過剰に際立たせること)は避けるため、いわゆるホワイトボックスの経過について、自身の選定事例を挙げて解説することはできません。

一般的な例として、竣工後約2年を経過した集合住宅の一部をご紹介しておきます。激しく汚れが目立つという程ではありませんでしたが、それでも大きく平滑な壁面にはいくつかの雨筋が浮かび上がっていました。これはあくまで一つの例です。この事例については引き続き、様子を観察して行こうと思います(…決して人様のあらさがしをするわけではなく)。



外壁の塗り直しの周期について少し調べてみました。住宅金融支援機構のサイトには1520年で全面改修を検討すべし、とありました。塗装の表面だけの問題ではなく、時間が経つと躯体の劣化が進行する恐れもあり、長く放っておくと下地の補修にも多額の費用がかかるので、早めの対応が肝心である、とも記載されています。

自身がこれまでいくつか外壁修繕に係わった都市機構の団地等でも、外壁や鉄部の塗装などの部位毎の修繕周期が1015年ごとに定められています。民間の集合住宅等でも10年程度で必要に応じて補修や塗装を行うというような修繕計画が立てられています。

このように修繕の目安が15年程度を初期の修前のタイミングとして推奨されていることを考えると、2030年、ホワイトボックス(あくまで塗装を前提)が竣工当初のままの状態でいることは難しいのでは、ということが推測されます。一方、15年という周期よりもこまめに塗装をし直す、ということは現実的な費用や手間を考えると持ち主にとっての負担の大きさが気になることころです。

一方では、近年様々なメーカーによって耐久性・防汚性の高い白い製品や白を保つための技術が開発されています。そうした優れた機能を持つ建材を使用することが長く美しい白を維持するためには欠かせない視点であると言えると思いますが、光触媒の技術を用いた塗料等は光の当たらない北面や付近に建物等が近接していて雨があたりにくい場所ではその機能が発揮されないという側面もあり、環境や部位の特性に応じた仕上げ材の選定が不可欠であることには変わりはありません。自身の経験では建材や仕上げ材単体が持つ性能に頼り過ぎると、他の側面からの影響を見落とす可能性が高まり大変危険である、ということが身に染みています。

色彩学の観点から見た時、高明度の白は他のどの色よりも際立ち手前に進出して見える色、という特性を無視することができません。建築家のいう抽象化を色彩で表現するのであれば、周辺の環境に馴染まる(=時には迷彩のようにスケール感も)、ということの方がはるかに効果的です。が、これはあくまで視覚情報としての色が持つ特性です。今後は更に形態やボリュームとの関係、を解いて行こうと思います。


●質問6 建築の色の時間変化について
『化学材料には時間が染み込まない』というひとこと。以前建築家の内藤廣氏のレクチャーで聞いた言葉で、今でも強く記憶に残っています。氏はまた『時間の流れに抗う気持ちと素直に流されてみたい気持ち、双方を行き来している』ともおっしゃっていました。

自然素材の時間の経過と共に変化が味わいとなって行く様子、時間が染み込まない分、一気に老朽化したり部分的な劣化が目立ったりしやすい人工的な素材。様々な建材は技術の発達により耐久性が良くなり、長く美観を保つことも可能になりましたが、周囲にある様々な建材や自然を含めた環境の経年変化と、スピードがズレ過ぎてしまうことにも課題があるような気がしています。

壁面単体がいつまでも綺麗で輝いている分、その他の部分の老朽化が返って目立ってしまうという状況が考えられます。年月の推移のみならず一日の中でも時間の変化があり、四季折々のとても繊細な自然の変化と付き合う中で、どこまで時間に抗うべきか、どこから溶け合うべきなのか。自身が素材を選定する際は、そこが最も悩む部分です。

白に話を戻すと、高明度の白を用いるということは、時間をどう設計するかということに大きく係わってくると思っています。永く美観を保つという観点を重視するのであれば、雨を除けるために軒を深くしたり天端に勾配を設けたり、とにかく水の逃げ道をつくる。そして汚れにくい・汚れが付着しても落としやすい仕上げ材を使用する等、あらゆる工夫が必要でしょう。自身の立場からいえばそうした工夫や配慮のなされていない建築・工作物にはどんなに施主や設計者が要望しても、白を使うことは薦められません。

一方、時間の経過による変化を汚れや劣化と認識させないような材料の選定、という考え方や見せ方もあるように感じます。むしろ積極的に時間の変化を染み込こませるような塗料、見てみたいとも思います。そうした設計における工夫や配慮と生涯のメンテナンスに掛かる手間や費用をトータルに検証した上で、白を用いる意味や意義について、建築家は徹底的に考えているものだと信じています。

こうして改めて書き出してみると、まだまだ自身の中でも整理できていない部分の多いことが浮き彫りになります。学生が求めるスパッとした答えにはなっていませんが、この文面は全て自身の経験がベースであり、嘘はありません。

ところが先のレクチャーの際に内藤廣氏は至極スパッと話されていて、さすがだなあと思ってしまいました。『ウエディングドレスが綺麗なのは結婚式当日だけ。あんなもの着ていたら日常は出来ない』と。
…許可は取っていませんが、実は随分このフレーズも使わせて頂いています。

こうした自身の正直さがどこまで役に立つか、甚だ心許なくなってきましたが、引き続き建築の白がもたらす色彩学的な意味や効果、そして課題について、考え検証し続けて行きたいと思います。

自己紹介

自分の写真
色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂