2013年5月30日木曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑥-彩度対比のコントロール

先日、とある球技場の防護ネットに関する相談を受けました。
柱の塗装色は赤みの茶色(5YR 4/2)、ネットは既成品のグリーン(5G 6/8程度)で検討している、とのことでした。

『柱の塗装色の色相、赤みが強いと緑との彩度対比により赤みが強調されるので、景観配慮色のダークブラウン程度(10YR 3.0/0.5)にした方が良い』と発言したところ、担当の方が『…何を言ってるんだ?』という表情をされていて、ああ確かにわかりにくいかもと思ったので少し解説をしておきます。

私達は日常的に、周囲や背景にあるものとの関係性において、様々な事象を認識しています。周囲や背景にあるものに『常に影響され、影響を与える』という状況です。

例えば下の図は、地の色の彩度が図に与える影響を示したものです。左の図の緑は赤(補色の関係にある色相)に影響され、より緑味が増して見えます。

補色による彩度対比の例。
鮮やかな色で実験するとわかりやすいのですが、ここまで激しい対比は現実にはあまり目にしませんので、先の茶色とネット及び自然の緑を想定して検証してみました。今度は右側を見てみると、図の茶色は地の緑の彩度に影響され、低彩度色でありながら赤みが増して見えると思います。

右の図(小さい正方形)の部分は地の緑によって
単色で見た時よりも赤みが増して見える
絵画やグラフィックの世界で多用される2色調和や3色調和の論理はこうした色相や彩度の対比を応用したものです。選定した2色がより強調しあって発色よく見える、という配色方法は、各色をより印象的に見せる効果があります。

ところが屋外空間の場合、2色の関係性だけでは納まりません。周囲に様々な他の要素があり、時間や天候の変化によって見え方がさらに変わるためです。

異なる部材の色を選定する際は、屋外の場合、まずは色相調和が基本だと考えています。ですから、上記の例で行けばネットも茶系か黒にすることが望ましい、と回答しました。

それでも、比較的色のコントロールが容易な塗装色を調整するだけで、随分と馴染み方が変わると思います。以下の図は、茶系の赤みを抜いてみたものです。
目立たせたくない=茶系色なら何でもよい、という訳ではないことが伝わるでしょうか?

茶色の赤みを抜いたもの。かなり低彩度でも、
右の図(小さい正方形)は補色である緑の影響され十分に色味を感じる。
ヨハネス・イッテンの色彩論の中に7つの対比、という項目があります。彩度対比の他、色相対比、明暗対比、寒暖対比、補色対比、同時対比、面積対比、があります。

この7つの対比の特性は、建築内外装の色彩設計にもかなり応用が効くと考えています。
明暗対比と色相対比については、それぞれ以前blogに記したもの、以下にリンクを貼っておきますのでご参照下さい。



2013年5月10日金曜日

お知らせ-素材色彩研究会MATECO 連続セミナー

素材色彩研究会MATECOでは6月より『都市・まちの素材と色彩』をテーマに、連続セミナーを開催します。

世界の様々な都市の地域性豊かな素材・色彩について、現地に渡航・滞在経験のある方々にご紹介頂くことの他、それぞれの分野に係わりのある素材や色彩が、その地でつくりあげられてきや景色の成り立ちを紐解いて行きたいと考えています。

その地域特有の景色の生成に大きく影響を与えている素材や色彩、独自の工法等にフューチャーすることにより、素材と色彩の関係性やそれぞれが持つ構造を探り出したいと思います。またその地域ならではの素材と、その地理的環境や状況における素材や色彩の使われ方を学び、日本のまちの保存や再生、そしてより豊かなまちなみの創造に向けて役立てて行きたいと思っています。

初回のゲストは建築家の山道拓人さん、聞き手には同じく建築家の西田司さんをお招きします。山道さんは2012年、南米・チリのELEMENTAL/Alejandro Aravena Architects に勤務されていました。このチリでのご経験に加え、日本でのご自身の実践を交えながら、まちの素材や色彩という切り口で豊かな社会のあり方についてお話頂き、参加して下さる皆さんとも議論を深めて行きたいと考えています。

建築家によるお話ですが、まちやコミュニティについて等、大変幅広くご活躍をされているお二方ですので、様々な分野との係わりが見い出せるのではないかと思います。

建築・土木・ランドスケープ…をご専門とする方はもちろん、都市やまちに興味をお持ちの方、是非ご参加下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。


連続セミナーの案内

第一回目は“カラフルな社会構築を目指して”というテーマです。

2013年5月6日月曜日

公共の色彩、について。


設計やデザインという職業は人に会う機会が思った以上に多い仕事です。この数年は一段とその数が加速しているように感じます。本業以外のことが増えたせいもあるかも知れません。…ほとんどの人に信じてもらえませんが、自身はどちらかというと人見知りで、初めて会う方に自身の専門分野のことを話すのには今でもかなりの照れというか、気が引ける部分があります。

特に建築家に対しては、若い頃随分と痛い目にあった経験があり、話をする前から構えてしまうところが未だにあります。ところが対話というのはやはり自身の心境が投影されるものなのだなと思うのですが、こちらが覚悟を決めて真剣に話をすれば(賛同を得られるか否かは別として)内容そのものはかなりの精度で伝わるのだなという実感が持てるようになりました。

この二週間あまりの間に世代の異なる三人の建築家の方と話をしましたが、いずれも私が専門とする環境色彩という分野に興味を示して下さいました。この三人の方々には近々、素材色彩研究会MATECOのセミナーやイベントでお話を伺うことになっており、それぞれの方と対話を深めれば深めるほど、自身も益々知識や経験を身に付けなければと思いますし、多くの視座に富んだお話から普段の疑問やモヤモヤがすっと解消されることも数多くあります。

建築家のNさんからは、こんな言葉を頂きました。
『公共、という観点でそのようにまちを捉えることは難しい。よい仕事ですね。』と。(…賛同して頂いたことを自慢したいわけではありません、念のため。)
公共、という言葉を聞くとき、普段それほど公と私の関係性を明確化している訳ではないので、いつも少しドキッとしてしまいます。

公共の色彩のあるべき姿、とは一体どのようなものなのでしょうか?

私達の暮らしを取り巻く環境には様々なつくり手が関わっています。行政が主体となるもの、民間の住宅開発、個人邸…。単体としての公共性、個の所有権というように仕分けをすると、公と私は渾然一体となって私たちの暮らしを取り巻いている、と定義づけることができるでしょう。特に土地の所有については日本ならではの制度上の問題から様々な問題や課題が発生しており、街並みとしての公共性に対し統一的(あるいは共有可能)なビジョンを描きにくい、という側面も十分に理解しておかなくてはなりません。

環境色彩デザインの仕事はまずこの公共、という側面に対していかなる中庸さを発揮できるか、という視点を持っていることが特異な分野であると考えています。

これは一昨年から係っている山梨県での業務の一例です。

改修前。車庫の左裏手が参道となっています。

とある神社の参道の脇に保育園と車庫があります。近年改修したばかりだという保育園の外装色は穏やかな色調ですが、基調色の色相がやや赤みに寄っており、周辺の自然景観が持つ基調色相(赤みの少ない10YR2.5Y系)とは“やや”対比が強調されやすい色相であることに気付きました。暖色系の穏やかな色なら何でも景色に馴染む、という訳ではありません。また山道の脇には生垣があり、車庫の側面はある程度目隠しがされた状態ですが、自然の濃い緑と折板の高明度色が対比的であることも気になりました。

この時の計画の対象は右手にある車庫でした。持ち主からは『調和を図るならば保育園と同じ色にすればよいのでは?』という案が出されましたが、私たちはこの環境で最も尊重すべきは神社の朱赤の鳥居であると考え、車庫に塗装する色相の赤みを抜くことを提案しました。色見本だけではわかりにくいので、フォトモンタージュを使って検証を行い、実施に至りました。

下の写真は施工(改修)後です。写真ではわかりにくいかもしれませんが、現地の皆さんが驚かれていたのは、『車庫に赤みの無い色にしたら、保育園の外装色の赤みが少し抜けたように見える』ということでした。

改修後。車庫の外装は色相10YRで統一しました。

その点、私たちは経験と色彩学という学問においての論理から“そのような見え方になるはずだ”ということは確信した上で提案を行っています。こればかりは中々言葉では伝わりにくいのですが、色彩が周辺に与える影響・受ける影響を鑑みてふさわしい色を選択すれば、周辺の問題すらも(わずかな違和感、ですが)改善することが可能なのです。

もちろん車庫という個の問題を考えるとき、よりよい解決の策はいくらでもあることでしょう。車庫の位置そのものから検証を行うことも必要かも知れません。ですが現況の車庫ありき、で考えるとき、外装色の持つ役割はやはり公共空間に出現するものとして大きな意味と周辺にその効果を発揮しうる要素として捉えるべきなのではないか、と考えています。

室内から一歩外に出ればそこはもう公共の空間です。その中にはもちろん、主張があっていいもの・必要なものもありますし、適度な変化がなければまちの個性や特徴は見失われてしまうことでしょう。そうした前提を踏まえていても最近はよく『とにかく穏やかなグレーやベージュにしておけってことですか?』と言われることも多く、それはそれでまた困ったなあと思ってしまうのですが、では『とりあえず馴染ませて』行くことで、果たしてどんな問題があるのだろうか、ということを考えさせられます。

新しい創造・新しい価値の創造を拒んでよいのか、という視点があるでしょう。自身はそのこと自体、まったく否定する気持ちはありません。が、その場で尊重すべき景色が他にある場合において、さしたる違和感がない状況の生み出し方は本当に不要なのか、とも思うのです。

そしてまた、その違和感は優れた(とされる)デザインが代わる代わる出現することによってのみ解決できることなのだろうか、ということをいつも考えています

自己紹介

自分の写真
色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂